パンク魔はどのような人生を送ったのだろうか

 
私の履歴書・20歳代番外編
 (注)今回の記事は、ひんしゅくをかう下ネタで、恐る恐る掲載しています。 
 
先日、京都・山科区役所に行ったついでに、昭和44年(24歳)から昭和50年(30歳)までの6年間住んでいたアパートを5年ぶりに訪ねました。
 
5年前に来た時(2006年10月)は、未だ崩れかかった建屋はあったのですが、いつの間にか新築されたアパートになっていました。
(注1)前回のその時の記事http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/44670190.html
(注2)下記写真での左向こうの突き当たりの家屋が私の住んでいたアパート。2006.10.09パチリ
    昔と違って全面的に溝が蓋をされ、砂利の土手道が広くなり舗装されています。
 
イメージ 1
 
じっと見ていると、近所の小母さんが買い物に出かけるようで、傍の一軒家から出てきましたので声をかけました。
 
彼女はここに住んでから20年程とのこと。
私がここを去る時は、36年前ですから、お互い、知る由もありませんね。
 
私は、数軒隣の人のことを尋ねました。
「あの家には、私と年齢が同じくらいの京大卒の人がいたでしょう?」
「いましたが、もう大分前に亡くなりました」
 
その時、近所のもう一人の小母さんが来て三人で立ち話となりました。
そこで数軒隣の彼のことを色々聞いてみました。
彼女達が口を揃えて言うことには、
 
                   ◆
苗字は思い出せない。
とにかく変わり者で近所付き合いは全く無い。
町内会にも彼の一軒だけは親の代から入っていなかった。
両親は早く亡くなった。
家の中は本だらけ。
学校の先生をしていた。
引越しをしたが、家はそのままで空き家にしていた。
度々、この家に帰ってきていた。
彼が亡くなってから、遺族がこの家を売却した。
彼が亡くなってから十年ぐらいかも。
 
                   ◆
 
思い出しますね。
1970年の大阪万博前後のことです。
 
当時私はそのアパートの二階に住んでおり、一階にはダンプの運転手夫婦(当時28歳)とその隣の部屋にはその友人が住んでいました。
 
 
或る夜、付近一帯の車のタイヤをアイスピックでパンクさせる事件が起きました。
私達は表通りの駐車場に車を停めるのが面倒なので、アパートの傍の土手道に停めていたのです。
 
最初の被害台数は40台程。
半年後に二度目の被害は60台程。
町内一帯の駐車場の車も被害に遭いました。
 
次はやられたのは30台程ですが、車一台につきタイヤ二本をやられましたので、スペアタイヤ一本では足りなく、朝の出勤時には皆大変でした。
 
それから暫らくしてからの或る夜の午前2時頃でしょうか。
下のダンプの運ちゃんが、熟睡している私の部屋の扉をどんどんと叩くのです。
 
「何事か?」
「捕まえました!パンク魔を!」
 
私は飛び起きて、直ぐに浴衣のまま外に出ました。
「犯人は?」
「あそこの家の京大生ですよ」
 
彼等二人は交替で夜中に見張っていたのです。
案の定、闇夜に紛れて犯人達は順次タイヤを突き始めたそうです。
 イメージ 4
 
処が犯行現場を押えたものの、持っていたアイスピックをぽーんと屋根の向こうの草むらに投げて「知らぬ存ぜぬ」とシラをきったそうです。
 
犯人は数軒隣の京大三回生(三年)とその友人の京大生合わせて三名。
 
とりあえず犯人達を自宅に帰してから私を呼んだのでした。
 
そこでダンプの運ちゃんとその友人と私の三人で土手道にたたずみながらどうしようかの話しになりました。
 
警察を呼ぼうとなったのですが、物証のアイスピックは暗闇の草むらの中。
探すにもこの真夜中に果たして見つかるかどうか。
 
明るくなる朝まで待ったとしても仕事があるからそれからでは探す時間はない。
我等がいない日中に、犯人達は証拠のアイスピックを探し出すだろう。
 
それに警察を呼んだ場合、長時間駐車違反(夜間8時間以上)は免れたとしても、無余地駐車違反(3.5m未満)。
 
吐く息が白くなる寒い時季でした。
浴衣姿の私には尿意が襲ってきます。
 イメージ 2
 
ダンプの運ちゃんが「寒い!寒い!タチションをするよ」と声を掛けてくれましたので「ツレション付き合うよ」と言って土手道から下の水路に向かって並びました。
 
私、浴衣の前をはだけたら何故かブリーフを履いていなく、すっぽんぽん。
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.
 
一物を左手の二本の指で挟んで支えてから放水開始。
闇の夜空を見上げました。
 
隣のダンプの運ちゃんのは直ぐに「シャー」と音がします。
何しろお互い我慢していたオシッコでしたから私も放水を始めてやれやれ。
 
処が私の放水からは水音が全くしないことに気がつきました。
何故? 同じ様に土手道から下の草むらに放水しているのに。
 イメージ 3
 
私の股間で膨れていくものがあります。それは、夜店で売っているぼんぼん(水風船)のようなものが股間でどんどん大きくなっていきます。
 
何で? 
 
あっ!と気がついて急いで小水を止めようとしましたが、膀胱が言う事をきいてくれません。
 
急には止まれない! 結局8割がた出してしまいました。
 
「京大生の自宅に行こう!」とダンプの運ちゃんが言いますが、この状況では拙い。
それにばれたら笑われる。試しに恐る恐る一物から手を離す。
 
ぼんぼんは支柱にしっかりとしがみついているものの、身体を少しでも動かしたら柱時計の振り子のように股間でブランブランと左右に揺れる。
 
支柱を手で押さえないでパンク魔の自宅までの20歩を進むのは至難の業。
更に先方宅に着いてからどうなることやら。
 
私の選択した言葉はこれしかなかったのです。
「もうこれでパンク魔は二度と現われないよ。それに明日は君達も仕事があるから、今夜はこれで!」
 
                   ◆
 
その後の四年間、案の定、パンク魔は二度と現われませんでした。
その京大生は団塊の世代・昭和24年(1949年)前後生まれですね。
 
どんな先生でどんな人生を送ったのでしょう。
亡くなったのは50歳過ぎでしょうか。
死因は不明とのこと。