「アンネの日記」はおっちゃんが書いた小説
◆ ◆ ◆
私達が知っている「アンネの日記」とは、怯える暗い隠れ家生活でしたね。
それは、一部カットされたもので、カットしたページには、いかにも思春期の多感な少女が綴られていました。
注)上記日記が最初に書かれた一冊目。
日記は、1942年6月12日、彼女の13歳の誕生日から始まります。
初潮・オナニー・レズ・男の性器・自分の性器等に関しての描写や、母親や第三者に関する辛らつな批判の箇所がカットの対象でした。
後に考えるとこれらの箇所のくだりが少女の日記であると言うことの意識的強調となるのですね。
注)アンネという商品名は、ここからきたのでしょうね。
.
初版は1947年にオランダのコンタクト社から発売されました。
日本での出版はこれらの内容をカットしたものでしたが、ノーカットの本は1991年版からとなりますから、私達が知っているアンネは可哀そうなだけの少女ですね。
以上の画像は、何冊かある日記から任意に選択したものです。
◆ ◆ ◆
それでは、以下の画像と上記の最初の日記画像とを比較して下さい。以下は米国のペンフレンドに出した手紙で、同じく1942年に書かれたものです。
これらも彼女が米国の友人に出した手紙。この場合の字もいかにも少女らしいですね。
それに、字が三通とも左に傾いています。
処が、アンネの日記では、全ての字が右に傾いていて、然も少女らしい字体ではありませんね。
比較してみて下さい。
果たして、同じ少女が書いたものでしょうか?
筆跡が全く違うのでは?
字が右に傾いている左の写真での「アンネの日記」原文は、とても13才の少女が書いたとは思えない大人の文章ですね。
それに、ある日本人ドイツ語学者によれば、その文章は大人びているだけでなく、古典的ドイツ語で書かれているといいいます。
でも僅か15歳で死亡しましたから、古典的ドイツ語を自在に操れるほど堪能ではないはずですね。
◆ ◆ ◆
依頼者は、アンネの父、ユダヤ系ドイツ人、オットー・ハインリヒ・フランク。小説だから当然内容もフィクションで実際には無かったのです。
◆ ◆ ◆
尚、これは単なる小説であるということを証明する事態が発生していました。
作者メイヤーは「アンネの日記」が大ヒットするにつれ欲?で最初にもらった原稿料5万ドルに飽き足らず、日記が生み出す利益の供与を主張するようになりました。
版権は本来なら父のオットーに有るのですが、メイヤーが版権を主張したため、両者は対立。
ニューヨーク最高裁判所の判決の書類番号は「2241ー1956」であり、ニューヨークの地方事務所になければならないのですが。
だが何故か、このファイルは現在紛失してしまっています。
原因は不明。調査しようとすると何者かの圧力がかかり調査は続行不能となるのです。
1980年10月9日のニューヨーク・ポストには、エルンスト・ロエマーなる人物が「アンネの日記」は真実ではなく、フィクションである事を追及し続け、裁判に持ち込んだ記事が書かれているそうです。
そして、二度目の裁判で彼の主張は正当であると認められたとのこと。注)それ以降の情報はありません。
◆ ◆ ◆
以下は、大虐殺は無かったことの証明の一部抜粋です。
無論、大虐殺はあったと主張する人もいますが、論理的限界があります。
★
処が、青酸ガスでは大量殺人は出来ないし、それに夫々のガス室と称する部屋からは青酸ガス反応が出ないのです。それもそうです。戦後建設されたものですから。
戦後、ポーランド当局がアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で処刑用ガス室として公開してきた複数の部屋は、設計図上は病死者などの死体を安置する死体安置室(Leichenkeller)として設計されていたことが、図面から読み取れるそうです。
大量殺人が実行された場合、それらの死体を処理するには多数の焼却炉が必要となりますが、それだけの焼却炉はアウシュヴィッツにもマイダネクにもなく、またそれらの焼却炉に必要とされる燃料も、戦争でエネルギー不足に陥っていたドイツで供給できる量をはるかに上回っていました。
例えば、戦後になってドイツ人に見せられたホロコースト犠牲者を撮影したとされるフィルムは実際のところ連合軍によるドレスデン爆撃の後に処理されているドイツの民間人でした。我々が目にする写真は飢餓やチフスの犠牲者を写したものです。
収容所でユダヤ人が大量死した原因は発疹チフスなどによるもので、アウシュヴィッツ等の収容所に処刑用のガス室は存在しなかった故に、連合国はそれら病死したユダヤ人の死体の映像をガス室の犠牲者であったかのように発表・宣伝しました。
これは彼らが国際的世論とシオニズムとの連帯を勝ち得るために (600万という) この数字を強調させる動機になっています。多くの学者がこれまでに600万という数字について議論し、ユダヤ人の犠牲者数を数十万人に修正するという驚くべき結論に達しました。
注)「アンネの日記」が何故に単なる捏造小説であると公言出来ないのかはそれなりの理由があります。
ドイツ・オーストリア・フランスでは「ナチスの犯罪」を「否定もしくは矮小化」した者に対して刑事罰が適用される法律が制定されていますし、人種差別禁止法を名目に「ホロコースト(大量虐殺)否定」を取り締まる国もあります。
◆ ◆ ◆
前回の結論に更に結論を重ねると以下の通りとなります。
他方、「ナチスにより大虐殺をされた悲劇的ユダヤ民族」という戦後の国際世論を背景に、1948年5月、中東パレスチナでイスラエルは独立宣言をし、 ここにユダヤ人によるイスラエル国が誕生しました。つまり、彼等は目的を達成したのです。
◆ ◆ ◆
≪下記の記事でより一層アンネの日記の虚偽が理解できます≫
『ヒトラーの任務と国際金融資本』 2016/8/1(月)
「ナチ(NAZI)」の本当の意味は、「国際シオニスト連盟」
(National Association of Zionist International)
故に、欧米のユダヤ人の国際金融資本家たちが、
ナチスに資金と武器製造工場や石油を提供した。
『19人殺害:簡単に洗脳される日本の若者』 2016/7/29(金)
彼等が死んだのは、排尿・排便をするのにトイレに
行かず居室の床にする。
入浴も拒否する。定期的に服を洗う習慣もなくシラミだらけ。
このように不潔だから発疹チフスが大流行して死んだのである。
棒グラフは[ナチスの収容所での各月別死亡者数グラフ]
これら収容所で死亡した人数は600万人ではなく、
合計で6万5千人。
それも、死因は発疹チフスが大半で、あとは病死など。
つまり、ホロコースト(大量虐殺)は無かったのである。
(私の小説アンネの日記に関する一部の記事)
捏造された歴史を叫び続ける醜態 2012/1/18(水)
大虐殺には遺骨がつきもの 2014/1/22(水)
以下、参考URL
(前回の私の記事)
(参考記事・引用記事・引用写真等のURL)
アンネ・フランクの日記の原本写真
(赤い表紙が原本一冊目)
注)1940年版の『ワールド・アルマナック』 (The World Almanac世界データ事典) では、ユダヤ人世界総人口は15,319,359人であり、1948年版『ワールド・アルマナック』では15,713,638人となっていて、マイナス600万人どころか、逆に40万人も増えている。