情報戦争とは、声をあげなければ認めたことになる

 
日本国内にはびこるマスコミの捏造報道捏造報道を助長する政治家。いずれも外国からの資金援助を受けているのであろうか?
 
日本を破綻・崩壊させる目的で!
依然と捏造番組をお茶の間に流し続けている。
 
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平成8年(1996年)吉田清治氏へのインタビュー(5月29日週刊新潮
 「本に真実を書いても何の利益もない。 事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか!」
 
このように、娼婦は強制連行された従軍慰安婦と言い、本に書くのみならず海外まで出かけて講演した吉田清治氏は、自分の主張は捏造したものと言っているにも拘らず、朝日新聞から謝罪の言葉は一つもない
 
更に、依然と慰安婦は強制連行されたという立場をとる朝日新聞
 
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改めて朝日新聞が叫び続けてきた論拠を検証する。
もう、この事は、皆さん、ご存知と思いますが。
 
 
【強制連行の加害者証言の信憑性】
 
 軍の命令で慰安婦狩りを行った体験談を語る唯一の加害証人は、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)の著者吉田清治氏である。韓国の済州島へ行き現地の軍人達と次のように強制連行したと述べている。
 
  翌日から徴用隊は慰安婦の狩り出しを始めた。・・・私は直ちに部落内の狩り出しを命じた。路地に沿って石塀を張りめぐらせた民家は戸が閉まっていて、木剣を持った兵隊が戸を開けて踏み込んで女を捜し始めた。・・・隊員や兵隊達は二人一組になって、泣き叫ぶ女を両側から囲んで、腕をつかんでつぎつぎに路地へ引きずり出してきた。若い女ばかり八人捕らえていた。・・・」
 
 吉田証言は朝日新聞テレビ朝日にたびたび登場したが、内容に疑問を持った方々(中村粲氏、板倉由明氏、上杉千年氏ら)の検証によって、軍の命令系統から本人の経歴まで全てが嘘であることが判明した。
 
秦郁彦氏は、唯一場所と時間が特定されている済州島へ現地調査に出かけたが老人たちに聞いても完全否定され、すでに調査を行っていた『済州島新聞』の女性記者にも「何が目的でこんな作り話を書くのか?」と聞かれる始末であった。この問題には、第三者としての証言者がいないということである
 
 
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 私はこの貝ボタン工場のあった城山浦にも行ってみた。海女の研究家でもある康大元(慶応大学出身)の通訳により、老人クラブで四、五か所あった貝ボタン工場の元組合員など五人の老人と話しあって、男子の徴用はあったが慰安婦狩りはなかったらしいことを確認した。
 
 公立図書館では一九七六年頃に吉田が済州島を旅行したときの関連記事を新聞で探して見つからなかったが、思わぬ拾いものがあった。
 
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 一九八九年に吉田著が韓国語訳(清渓研究所現代史研究室)されたとき、『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた紹介記事を書いていたのである。一九八九年八月十四日付の記事の邦訳は次の通りだ。
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 解放四四周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として二〇五名を徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。しかし裏付けの証言がなく、波紋を投げている。(ついでに吉田著の概要を紹介)
 
 しかしこの本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で一五~一六人を強制挑発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を、裏付け証言する人はほとんどいない。
 
 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信憑性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、一五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。
 
 郷土史家の金奉玉(キム・ポン・オク)は「一九八三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。
 
 いわば吉田説の全面否定に近いが、その日の夕方には、今は『済州新聞』の文化部長に移っている許栄善女史に会うことができた。敏腕記者という感じの彼女から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ、答えに窮した記憶は今も鮮やかである。
 ・・・・(中略)・・・・
 
 とくにNHK山口放送局が、吉田証言を軸とした番組を企画して四〇-五〇人に取材したが、どうしてもウラが取れず、吉田の出版社から「あれは小説ですよ」と聞いたこともあり、二月に企画を中止したとの連絡を受けた。目利きの士は他にもいたのか、と安心したものである。
 『慰安婦と戦場の性』p232-234  http://kokis.client.jp/noby/b02_yoshida.html
 
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歴史学者に長い間引用されてきた日本軍に強制されたと言う従軍慰安婦として有名な「黄錦周」(ファン・クムジュ)さんの証言。言う度に当時の年齢などがコロコロ変化
 
 
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一での彼女の証言

「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」



(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日での彼女の証言

17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。」


(3)日本TV企業"TBS"「ここが変だよ日本人」というTV番組より(従軍慰安婦問題)での彼女の証言

「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、仕方なく慰安所に行ったんだ」


(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期での彼女の証言

満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供するように言いました。」


(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日での彼女の証言

『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』


(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて彼女の証言

14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスの道具にされた。つらい体験だった。」
 
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もう一人の証言女性も、強行連行されたと称する場所や時間が言う都度コロコロ変わります。
 
被害女性と称するもう1人の韓国在住の李容洙(イヨンス
 
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