六条河原院を偲ばせる渉成園(しょうせいえん)の紅葉

 
テレビでは源氏物語の予告編で騒いでいますので、9日午後京都の紅葉狩りの目的も併せて、六条河原院を偲ばせる渉成園(しょうせいえん)に出かけました。
 
 
名勝・渉成園(しょうせいえん)とは、
「お東さん」と京都市民に親しまれている真宗大谷派の本山真宗本廟東本願寺)の庭園。周囲に枳殻(からたち)が植えられてあったことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれている。
 
平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融(みなもとのとおる)が奥州塩釜の風景を偲んで難波から海水を運ばせた六条河原院苑池の趣向を取り入れている。
 
1641年、徳川家光によって現在の土地が寄進され、さらに、1653年、本願寺第13代宣如上人の願いによって洛北詩仙堂を開いた石川丈山が作庭。江戸期の二度にわたる大火により建物はすべて類焼したが、明治初期に復興された。
   参考)風俗博物館・六條院とは
 
 
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昨今の説では、五条通七条通の中間(正面通)以北で、柳馬場通河原町通と重なる)以東が源融の六条河原院だったようです。
 
ですから、この園をかすっているようですね。
 
でも、平安時代前期の源融が営んだ六条河原院の伝承に基づいて景物が趣向として配置されているのだそうです。
 
 
 
 
 
 
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五条大橋の西詰を南下すると直ぐに大きな楠木があり、その根元に河原院址の石碑があります。
 
ここからボチボチ五条楽園を通って歩くと、間も無く渉成園です。
 
 
 
 
参考)私のブログ記事・源氏物語 光源氏の住居・河原院の跡
参考)私の履歴書82 警官のピストルの弾が耳元をかすめる
 
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これまで時々太陽が顔を出していたのに、厚い雲が流れます。
日頃の行いの問題かな?
 
敷地は1万6百坪。広いですね。脚が悪い誰かさんは、ぼやくことしきり。
ここを時計回りに散策しました。
 
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園入口(西門)を入って直ぐにこの高垣石。
 
樹のほこらをズームアッツプすると、緑眼の怖い虫?
 
ではなく、葉と枯れ木の組み合わせで偶々こうなっていたのでした。
 
 
 
 
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垣間見る紅葉。
 
日差しが欲しいのですが、その気配は全くなし!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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庭園を入ると後鳥羽上皇の愛した水無瀬離宮の雰囲気ですよ。
 
手前が臨池亭(りんちてい)。
奥が滴翠軒(てきすけん)。
 
この右隣に大き目の灯篭があるでしょう。
 
 
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それが檜垣(ひがき)の灯篭。
 
更にその右には滝があります。
 
この水は、東山・蹴上(けあげ)から明治時代、東本願寺が疏水を水道管で引っ張ってきたもの。
 
 
 
 
 
 
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 ここから流出する水の向こうの傍花閣(ぼうかかく)の横を通って、大きな印月池(いんげついけ)に流れます。
 
琵琶湖の疏水ですから、小魚が沢山いたかも。
 
 庭園は「池泉回遊式庭園」ですから、京都の名高い庭園と趣向は同じですね。
 
 
 
 
 
 
 
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次が代笠席(だいりつせき)。
 
この意味は、人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わり」に雨宿りする席という意味のようです。
 
煎茶席です。
ここで一休みしようと思いましたが部屋の中には入れませんでした。
 
 
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手前の垣根のこちら側にあるのが「亀の甲の井戸」
 
亀の形ですね。
 
何故に亀の形なのか説明はありません。
水瓶(みずがめ)のオヤジギャクかも。
 
 
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丹楓渓(たんぷうけい)から垣間見る侵雪橋(しんせつきょう)。
 
雪景色がいいのでしょうね。
新雪橋と名前を改めた方がそれらしきかも。
 
 
 
 
 
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侵雪橋をズームアップ。
 
 
 
参考)私のブログ記事・永観堂の石橋
 
 
 
 
 
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丹楓渓(たんぷうけい)を通ると、回棹廊(かいとうろう)が垣間見えます。
 
決して覗き見が趣味ではありません。悪しからず。
 
 
 
 
 
 
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左の画像が、回棹廊から見下ろした光景。
右の画像が、西側から観た回棹廊。
 
これ、何となく東福寺の雰囲気ですね。
 
参考)私のブログ記事・東福寺の通天橋
 
                                つづく