中高年男子の脳回路

 
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    私の履歴書・384
 
今回は、実につまらない話し。
 
札幌時代のダイアリーの中で、最後の年の1990年版のダイアリーの余白に書き込まれたメモ数が一番多かったですね。
 
仙台の松島課長が札幌に来る都度、感嘆した言葉。
「札幌にはいい社員がいるなあ~」 と。
 
いい社員とは、私が着任した初年と翌年に採用した六人。
草野 魚住 関根 山崎 それと 世子と亜子ですね。
それと、子会社時代からの社員の斎木君を合わせて七人。
 
彼等は若いから、教育と指導をすると、そのまま肥やしになり実となりましたね。
 
他方、そのメモには、中高年の男性社員に悩まされていたことが記されています。
実につまらん事。このメモ、見なきゃよかったと思える内容でした。
 
男は年齢を増すほど融通が効かなくなるという例でしょうか。
若いときに客観的物の見方をする脳回路が出来ていない悲劇でしょうね。
 
さて、
神戸部長は、1990年当時66歳でした。
度々このメモに登場するのが、LL社各営業所長からの彼に関してのクレーム。
彼は顧客に対して顧客よりも高い目線で物を言うから反発が来るのです。
 
例えば、
1990年8月、四井取締役と神戸部長との二人がLL社釧路営業所の朝礼に参加。
席上、「㈱ウズマサの機器を商店に斡旋しない営業員の場合、LL社本社に報告し、その営業員の今後の昇進を停止させる」と脅しをかけたそうです。
 
9月26日夜、LL社釧路伊井所長と飲んだ時に、この話を聞かされました。
「何と言う事を言うのだ。営業員が猛反発している」と付け加えて。
ひたすら謝るしかなかったですね。毎度のことですが。
 
同年11月12日、LL社旭川所長からのお叱りの言葉。
「神戸さんは、今の若い社員に昔話をするが反発されるだけだ。神戸さんはそれが分かっていない。何とかあの口を黙らせよ」
 
このようなことは、度々。
私の道内各地LL社営業所訪問は、謝罪で訪問するようなもの。
 
本人には時代が違うことや、顧客に対しての物の言い方などを何度諭したことか。効果はせいぜい半月で、元の木阿弥でしたね。何度繰り返したことか。
 
 
設計部署の岡部課長(1990年当時46歳)の場合は不平不満の塊。
 
彼は前任地金沢営業所の所長として二年間勤務したが、成績が上らず。
上らない理由は待ちの営業しか出来ないから。札幌に降格人事でしたね。
 
 尚、余談ですが、この金沢営業所にはお局の花山女史がいました。
 金沢の生き字引で、転勤してきた所長達は彼女に頭が上らない。
 何しろ諸問題が発生した場合の解決能力は所長の比ではない。
 
札幌での彼は事ある度に会社批判。
事務所の中で大きな声で言いますから、皆のやる気を削ぐこと度々。
 
所長を経験した男ですから、私が改めて言わなくても分かっているはず。
でも言うしかない。その都度言いましたね。
 
「会社に自己の意見を認めてもらうためには、実績を上げることしか方法はない。
市場や環境が悪いからと言って嘆くよりも、市場や環境が悪いにも拘らず、どうやって好成績を上げたかのプロセスに価値があるのだよ。会社はそこを見ている」
 
更に
「君は何をどうして欲しいのか?」と問うも、具体的なものは何も出て来ない。
構想力も無いのだからこちらの動きようがない。
 
或る日、
本社の津山課長が岡部課長と打ち合わせの為札幌に出張で来たので、一般社員をも連れてサッポロビール園に行った時の事。(1990年10月17日)
 
この津山課長(当時44歳)と岡部課長の二人は、会社批判で泡を飛ばしながら話す。その問題とは社休日の件。もう少し、マシな話しの題材はないものかね。
傍の一般社員は聞いているのみ。
 
私  「津山課長、君は本部の人間として支所を訪問しているのですよ」
津山 「自分の発言は、自分が本部を離れた個人としての意見だから問題はありません」
 
私 「君は何のために札幌にきたのかね。岡部君と会社批判をするためか?
そんなことより、皆のお手本となる建設的な話をしてくれ!」
 
それでもこの二人、生き生きとして会社批判を続行。
彼らの脳構造が完全にマイナス思考回路で固まっていましたね。
 
 
1988年6月に名古屋支店から転勤してきた森口総務係長の1990年の場合は。
 
相変わらず事務所内で岡部課長と不平不満や傷の舐め合い。
彼も脳構造が完全にマイナス思考回路で固まっていましたね。
 
それに彼の脳回路について、凡人には理解出来ないものがある。
受話器の置き方については、以前、記事にしましたね。
部下の由紀ちゃんを私の留守中、何度泣かせたことか。
 
注1) 私の履歴書331目的とは? 客観的視点とは?(受話器の置き方)
 
       注2) 私の履歴書244 由紀ちゃんを採用した本当の理由
 
その1) 5月8日、突然売掛金表を持ってきて、「所長、昨年からマーク機の代金回収が全く出来ておりません」 と言う。
もしもそうなら億単位の売掛金があるということになる。
 
「何かの間違いだから、よく調べなさい」
数時間後、「すみません。去年の売掛金表でした」
 
 
その2) 5月10日、北海道エリア会議の前日のこと。
「所長、全支所の電話代がこの2~3ヶ月、どこも倍になっています。これは各支所間で何やかやと話し合っているからです」との緊急報告。
 
「それじゃ、過去一年間の全支所の経費明細を調べたらどうか?」
数時間後、「すみません、変わっていませんでした」
 
何を根拠として、物を言うのかね。
脳回路が、何処かでショートしているとしか考えられない。
 
 
このような事は毎月毎月のこと。
彼は私大を新卒で入社し、社歴17年程。
 
どんなレベルの大学かは知らないが、卒業できたことは確か。
然し、この脳構造は今もって理解不能
 
私はそれ故、当時、中高年を部下に持って仕事をする自信を失いかけましたね。
思考の原点が全く異なるこういう男達がいるからね。
 
 
尚、この翌年、私は本社に転勤してから、全営業部の管理職に対し、出先での一般職を交えた会社批判を禁止させました。
 
他方、ある省の管理職で定年退職したノンキャリア組の国家公務員5名と面接し、採用し、私の配下として仕事をしてもらったのは札幌を去ってから五年後以降。
 
流石に彼等のモチベーションは素晴らしいものでしたね。
やはり札幌時代の中高年の連中は異常ということでした。
 
                                 この話は後日。