もう1年札幌に勤務していたら?
私の履歴書・383
世子と函館へ行ったことや賃貸マンションのことなど、ブログ友の皆さんにご指摘を受けるまで分かりませんでした。単に不可思議な出来事だったという思いだけでしたね。
.
.
1988年春、世子が入社後から事務所で私と度々目が合うと世子は目をそらさず。私と見つめあうことも度々。これはこの子(娘)の癖だと思っていました。注1)
世子も亜子も、事務所の椅子に座っている私にべったりとくっついてくるのは、彼女等の仕事に対しての熱意の表れだと思っていました。注2)
午前零時を回ってから帰社してくる世子と亜子。
事務所で待っている私。注3)
それから午前二時頃までどちらかと二人きりでしたね。
明確な目標を抱いたら、人はこんなに豹変するのかといたく感心していました。
札幌クラブハイツで何度か踊ったチークダンス。
世子と亜子と踊る場合は、結構抱きしめて踊りました。注4)
二十歳過ぎの女性営業員が彼女等の他に四人いたのですが特別な記憶は無い。
心の通い度が違っていたのでしょう。注5)
それと、特に世子を大事に扱いましたね。出来のいい子(娘)でしたから。
何とかこの子(娘)には将来独立して成功して欲しいと思いました。
寧ろ私の方が世子に惚れていたのかもしれませんね。
その感情を抑える為に、私の心の中に世子に対してのバリヤーを張っていたかも。
危ないからね。
危うきに近寄らずのはずが、1988年冬から翌年春にかけての伊織さんとの出来事。あれで伊織さんは会社を辞めることになってしまいました。注6)
更にその翌年の春に、由紀ちゃんが辞めました。
女性社員と何かを起せば、その女性社員を失う。
特に、世子と亜子は失いたくない。
あれで、猶一層私の心にブレーキがかかり、分かろうとしなかったかも。
改めて思い出したこと、
お盆に世子と函館日帰り出張した翌月9月初めの好天の午後、事務所に世子と私が二人きりの時、帰ってきたメンテナンスの野川君が私に言ってきました。
「世子さんは彼氏と別れたのですよ」
「いつ?」
「夏前ですよ」
「何故別れたの?」
「世子さん、所長に惚れているからじゃないですか?」
「そんな馬鹿な」
その時、世子は私の隣の席にいました。
私は笑いながら世子を見やりましたが、一瞬目が合ったのみ。
それから世子はじっと机にむかったまま無言でした。
後、世子は席を外しました。
あ~、野川君がくだらない事を言うから怒っちゃった!と思いました。
もしも転勤がもう1年遅かったら、どうなっていたでしょうね。
参考1)
最近、押入れから見つかった本。
ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」
これを教材として何度か一泊二日研修をしました。
尚、この本は1990年買い直したもの。
最初に購入した本を汚してしまったから。
最優秀な受講者は、世子。
参考2)
同じく、押入れから出土した写真です。
これは札幌赴任の前年、私が41歳の広島時代です。
.
.
.
注1)私の履歴書・288 当初、笑顔を見せなかった世子(よこ)
注6)私の履歴書 留萌慕情目次(No.356~368)