全国民主党員(B)の諸君! 責任をとりなさい!

 
震災後に首相が「これで2年、続けることができる」と語ったとの噂が流れていますが?
 
民主党Bグループの全国民主党員並びにサポーターの諸君!
今回の選挙の為だけに菅直人君を首相に選びましたね。
 
それがこの結果。
まだ気がつかないのですか?
 
君達が選んだ首相とは、櫻井良子流に言えば「あんぽんたん」! 
 それが分かった国民は、地方選挙の度にノー・カンと言い続けている。
 
何故に菅氏はパフォーマンス優先なのか不思議だったでしょう。
これはね、首相という仕事が出来なく、パフォーマンスしか出来ないからですよ。
 
菅がこのレベルだから、相変わらず被災現場を襟立てで訪問した蓮舫
 
 
下記は、msn産経の記事の一部を抜粋したもの。
仙石の方が、遙かに仕事が出来ることがよくお分かりと思います。
まあ、そこそこの人間なら、この程度は出来て当然ですがね。
 
 
民主党Bグループの諸君!
君達は日本国民に対して責任を感じないのか!
 
このままでは日本は荒廃する!
更に日本が世界から四面楚歌となる!
 
君達の手で、即刻、菅を首相から引き摺り下ろし、後始末をせよ!
 
                   ★
 
11日には有識者らを集めた復興構想会議を発足させる。これに先立ち視察すれば指導力を示す絶好の機会となると考えたようだ。
 その陰で復興計画は官房副長官として首相官邸に復帰した民主党代表代行・仙谷由人の下で着々と進む。2人の亀裂は刻一刻と広がっている。
 
(途中省略)
 
 
原発問題の長期化は避けられず、被災地ではガソリン不足さえも解消できない。被災者の困惑は政府への怒りと変わりつつある。被災地支援で指導力を発揮しなければ政権を維持できない。菅はそう考えたようだ。
 「官僚が動こうにも官邸が機能不全で動けない」。こんな批判は石原信雄(村山富市内閣の官房副長官として阪神・淡路大震災の対応に当たった)の耳にも届いていたが、石原はあえて触れず、党代表代行・仙谷由人官房副長官への起用をほめちぎった。
 「仙谷さんを災害対策に当たらせたのはよかったですね。特に事務次官を集めた連絡会議を作ったことの意義は大きいですよ」
 菅は不愉快そうな顔つきに変わったが、ある提案に大きくうなずいた。
 「復興政策を一元化する復興院などを作っても二度手間となる。対策本部で方針を決めたら直ちに各省庁が動く体制を作った方がよいのではないですか」
 
それでもその手腕を借りざるを得なかった。「仙谷を野放しにしたらわが身が危ない」との思いもあったかもしれない。
 
(途中省略)
 官邸復帰後の仙谷の動きは素早かった。「乱暴副長官になる」と宣言すると直ちに被災者生活支援特別対策本部を設け、本部長代理に就任した。3月20日に各府省の事務次官たちを招集し、こう鼓舞した。
 「カネと法律は後ろからついてくる。省庁の壁を破って何でもやってくれ!」
 菅の癇癪(かんしゃく)と無軌道な指示に幻滅していた官僚にとって仙谷は「救世主」に映った。事務担当官房副長官・滝野欣弥は仙谷と共同歩調を取り、省庁幹部はこぞって「仙谷詣で」を始めた。
(途中省略)
 
「天国は要らない。ふるさとが要るんだ。造るのはふるさとなんだ!」
 
(途中省略)
 
 自ら招いたとはいえ、「陰の首相」の復活は、菅には面白くなかったに違いない。さっそく巻き返しに動いた。
 「山を削り高台に住居を置き漁港まで通勤する。バイオマスによる地域暖房を完備したエコタウンをつくる。世界のモデルになる町づくりを目指したい」
 菅は4月1日の記者会見で唐突に復興構想会議の創設を表明し、自らの復興ビジョンをぶち上げた。これは復興院構想の否定に等しい。石原からヒントを得て仙谷主導の復興を阻止しようと考えたに違いない。
 はしごを外された仙谷は周囲に不満を漏らした。
 「復興構想会議の具体的な話は一切なかった。俺は首相に外されている…」