琵琶湖に真っ赤な排水を流していた時代

 
          私の履歴書・20歳代番外編
 
今回、ベルーギーでの真っ赤な排水が街の中を流れる映像をテレビで観る度、昔の事が昨日のように思い出されます。2010/10/07
 
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ハンガリー西部で広範囲にわたって有毒な産業廃棄物が流出し、住民ら120人以上が死傷した事故で、政府は現場一帯に非常事態を宣言し、有毒物質の除去作業を急いでいる。

ハンガリー西部で4日(2010/10/04)、アルミニウム工場の廃棄物を貯蔵する貯水池が決壊し、赤い有毒物質が付近の村に流れ込む様子をとらえた映像には、道路を勢いよく流れる大量の赤い泥水がとらえられていた。
この際、泥水の高さが2メートルに達した場所もあったという。
 
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丁度40年前の1870年(大阪万博)前後でしょうか。
 
それまで、琵琶湖の水質に関しての管轄は、滋賀県保健所のみでした。
1960年代初めに滋賀県庁に環境課が新設されました。
 
そこで始まったのが、琵琶湖の水質保全と工場の緑化ですね。
当時琵琶湖の南岸には幾つかの工場がありました。
 
美園社では、そのうちの一つの本社・工場(当時東証二部、現在東証一部)からは、外壁一帯に公害に強い何種類かの樹を植える園芸の仕事を受注しましたね。
 
琵琶湖の生態に関しては、この当時から岸辺の浮き草にプカリプカリしていた外来魚のバスが問題化し始めた頃でしょうか。
 
数個の釣り針を船の碇(いかり)の形に結わえ、それをバスのいる近くに投げてグイと竿を引いてバスを引っ掛ける方法です。
 
役所の人と何度かこの釣りの方法で少しでもバスを減らそうとしましたが、大自然の摂理には、我等だけでは到底敵わない!
 
工場廃水の監視も行いました。
 
家電(洗濯機)工場の場合、排水される塗装液と研磨した金属粉の監視ですね。
織物の染色工場では、使用済み染料の監視ですね。
何れも排水を琵琶湖に流す前に沈殿槽を設けてあります。
 
然し、コスト削減の為に、沈殿した汚泥ごと琵琶湖に放流するのです。
この放流は、県職員が休日(日祝祭日)で監視体制に無い時を狙います。
然も、大雨の日が条件。
再々の県の指導にも拘らず、止める気配は無い。
 
ですから私が出動するのは大雨の休日。
間違いなく各工場は、一斉に沈殿槽を全開するからです。
 
この時、立ち入った工場の排水溝を流れる排水の量と色は驚くものでした。
排水溝は、4m程の川幅。
 
一つ目の沈殿槽を全開すると、川があふれんばかりに真っ赤な水が琵琶湖に流れて行きます。
 
次に二つ目の沈殿槽を全開すると、今度は真っ青な排水でしたね。
それが数十メートル先では、泥水と混じって色が消えるのです。
 
もしも雨が降らない時に放流したら、排水口からは赤色とか青色の帯が琵琶湖の下流に向かって延々とつながる。
注)この頃の京都鴨川でも、小規模ですが時々このような色の帯を見かけました
 
ある工場側からは、私を正社員として雇用したい旨の要請がありました。
排水設備室で本を読んでいてくれたらよいという条件でした。
 
県庁関係への私の顔を利用して排水を咎められないようにしようとする魂胆。
この当時でも、工場の排水処理には相当なコストがかかりましたから、私の人件費程度は軽く浮くわけです。無論、断りました。
 
今の中国が、まさにこの状況でしょうね。
 
 
注2)美園社については