銀色の世界・札幌『すすきの』の夜明けを堪能!

 
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前回のあらすじ)
 
LL社札幌支店の30名を接待。
飲むわ!飲むわ!
 
バックヤードの一升瓶保管棚に残るは二本のみ。
前代未聞のことだと仲居さんは言いましたね。
 
 
 
 
 
             私の履歴書・256
 
 
予想よりも我が札幌営業所の社員のレベルはかなり低い。
高校時代を悪がきで通した広島の社員達の方が遙かに高い。
 
でも、真面目な事は確か。
ではどうするか。
 
改めて社員教育の場を設けるとなると月一回が限度。
そんなのんびりとは、やっていられない。
 
となると、
在社時での朝礼15分間が全てでしたね。
 
朝礼時に、色々と話しましたが、記憶にある話の一つ。
物の見方と報告について、例え話を変えて何度も話しました。
 
日常、彼等の報告を聞いていると要領を得ない。
きちんと物事を見る目を持っていなかったのですね。
 
彼等の報告を同時に聞いていますと二人の内容は全く違いましたね。
 
 背の高いA君 「庭にチューリップが沢山咲いていました」と。
 背の低いB君 「庭には何も咲いていなかったし、草ぼうぼうのようでした」
 
何度も言いましたのは、先ず事実を正確に述べよ。
自分の判断や意見は、事実を報告してから述べよ。
 
重要なのは、どういう状況、どういう視点で、何が見えたのかですね。
 
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A君 「庭に二輪の赤いチューリップが咲いているのが見えました」
 
B君 「塀が高くて、庭の中は見えませんでした」
 
 
 
と、事実を報告出来るようになるまで、三ヶ月は要したと思います。
 
どうやら、従来は、何かが起きた場合、一般社員に自己判断させていたようです。
良く言えば、自立心の育成。悪く言えば上司の責任放棄。
 
よく訓練された社員でしたら、話は別ですが。
過去、上司と部下の間では、もぐら叩きが日中行事となっていたようです。
 
 
そうこうしているうちに、一月下旬。
 
事務所二階に住んでいた田原さんが㈱ウズマサ宇都宮営業所所長として引っ越しました。
注)田原  子会社が解散する前の常務
 
   
不思議な事に、何の挨拶も無かったですね。
いつの間にか二階は空き家。
 
その二階住居の応接間で打ち合わせを開始。
神戸(死神)部長と課長二人(山川課長・坂上課長)と私の計四人で。
 
さて、血判状を叩きつけた連中ですから、相当な持論を持っているはず。
じっくり聴かせてもらいましょうか。
 
私の在社の時の平日の午後7時から開始。
三人の言う事をじっと聞いていました。
 
交互に喋りますね。争って。
彼等は口の止まる事が無い。延々と。
 
話す内容は、
 
        かって子会社を指揮していた田原常務の誹謗とその事例。
        40名の社員の内、再雇用しなかった社員20名の一人一人の欠点。
特に、営業員のデタラメさ。
        豪雪時の札幌市内での移動の大変さ。
片側三車線の環状通りが一車線になること。
④ 吹雪の原野での吹き溜まりの事など。
 
こんな内容で、かって、本社からの出向者達を感嘆させたのでしょうね。
私の望む、北海道市場に対する政策の話が全く出てこない。
 
このミーテングの終るのが、当初は夜中の11時。
午前1時の時も。
 
四回目ぐらいからでしょうね。
話すことは最初に戻ってイチから繰り返えされました。
テープレコーダーを再生しているようなものでしたね。
 
平日に、これで帰宅が午前様では堪らない。
 
毎週一回、金曜日の夜に変更しました。
金曜日が不可なら休日の土曜日、もしくは月曜日。
 
処が、翌日が土曜日の休日となると時間は充分。
子の刻から丑三にかけて、途中、彼等は缶コーヒーを買ってくる。
 
お茶代わりですね。
それに、空腹を満たす&眠気覚ましでしょうね。
 
私、冬季、缶コーヒーを飲んだら確実に下痢をする。
おなかをゴロゴロさせながら、終わりの無い話を延々と聴きましたね。
 
遂に、毎回朝帰りとなりました。
 しらじらと明ける雪の札幌市街の早朝を何度も堪能しましたね。
 
「ネオン消えず不夜城すすきの」=「つわものどもが夢の最中」を通って。
 
テープレコーダー再生が何回転かを始めた時、私、言いました。
 
 
 
「君達の話は、よく聴かせてもらいました。
太秦社長の私への指示は、何度も言っていますね。
 
『 北海道を営業で立て直すのは難しい。山川課長と坂上課長の両名を軸として、メンテナンスで収益を合わす体制を作れ!』
 
札幌管内のメンテナンスによる建て直しは君達二人の課長に任せよう。
太秦社長が、君達に期待しての言葉だから、思い切ってやってくれ!
 
尚、札幌以外の函館・旭川・北見・釧路の出張所は私と部長が責任を持つ。
それと、札幌の営業も私と部長が担当し、営業体制を立て直す」
 
更に
 
「拠って、この毎週一回のミーテングは今回限りとする。
今後のミーテングは、君たち札幌のメンテナンス部門の月次決算書を基にしようじゃないか」
 
 
 
彼等は、私に何を訴えたかったのでしょうか。
北海道は、気候の厳しい所だから、収益を上げるのは困難だと訴えたかった?
 
彼等は、私と過去の出向者達とは根本的に違う事を見抜けなかったのですね。
『逆境ほど、楽しむ私』であることを。
 
当時、私の口ずさんでいた詩。
高村光太郎ですね。中学三年の時の教科書に載っていたもの。
 
 
       ☆       ☆       ☆
 
 
道程 
 
 
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守ることをせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
 
       ☆       ☆       ☆
 
 
 
この詩の『道程』の言葉を『北海道』に置き換えて口ずさんでいた私。
高村光太郎は、特に雪が好きでしたからね。