テレビ局が報道しない小泉元首相の婦女暴行事件

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小泉純一郎婦女暴行事件による損害賠償請求裁判第二回公判は6月15日朝10時20分東京地裁609号法廷]
初弁論は5月6日の木曜日に東京地方裁判所の609号法廷で行われ、50人以上の傍聴人があふれていたという。
第二回は、6月15日の東京地方裁判所の609号法廷で、午前10時20分から行われるとのことである。

小泉純一郎氏について、以下のデータがある。小泉氏および飯島秘書官はこれが事実と違うのであれば、事実と違うということを証明していただきたいものである。

その①、小泉純一郎は、1967年4月、慶応大学の4年生(すでに、2浪、2留年をしていたが、1967年の3月にも卒業できなかったため、3留年が決定していた直後)であったときに、婦女暴行事件を起こして、神奈川県警に逮捕されたことがある。
場所は、湘南であり、相手は慶応大学の女学生であった。(当時)

当時、防衛庁長官であった父親の小泉純也氏が政治的圧力を使い、この事件をもみ消したが、学内でうわさの広まるのを恐れ、小泉純一郎氏を急遽1967年の5月にロンドンに留学という口実で日本から出した。
これは慶応大学には休学扱いとした。そして、9月から通常始まるロンドンの大学に留学という形をとる予定であったが、英語ができないため、すべて合格できなかった。
そのため仕方なく聴講生として一般に開放されている大学の講座をとっていた。だが2年間ロンドンにいて、とった単位はゼロであった。

その②、このデータは、まだあまり公表されておらず、ほとんど記事にもなっていないもの。(①については多くのそれを示唆する記事が存在する)

小泉純一郎氏は、代議士2年目のときにも同様の婦女暴行事件を起こし、このときも逮捕されている。
これは相手は諸事情あるため秘すが(未確認であるが、女子高生だったという話である)、結局示談で処理をした

注)下記の内容は、ある意味で合成麻薬MDMAを使用した押尾学容疑者が、田中香織さん(30)を放置し死亡させた事件と酷似している。

以下はホームページにのっていたものである

小泉氏は、サドの趣味があり、よく相手の首をしめてプレイするという。それで一度 死にそうに相手がなり、半死の状態になってしまった。驚いた 飯島秘書官が500万円を支払い、示談にしたことがあるという。尚、元妻・宮本佳代子さん自身も夜の営みの時に首をしめられていた。

新橋の芸者の小はんという女性が、小泉とつきあっていたが、そのときに、なぞの死 をとげている。
これは自殺として処理されているのだが、別に悩みもなく、人気もあ り、死ぬ理由も動機などなかったという。

自殺であるという処理であるから「首吊り」 として処理されているのかは知らないが、後で浜田幸一元代議士が、小泉に対して「 この芸者殺し野郎!」と代議士仲間の前で、ののしったことがある。

3人子供を生ませて、離婚をしているが、その離婚の動機も、妻が、小泉の殴る蹴る のドメステイックバイオレンス・家庭内暴力に耐えられずに離婚をした。

小泉首相が、慶応大学の学生だったころに、 女子大生を強姦しようとして警察につかまり、そのときに、彼がなんと言ったかというと、「僕の父親は、防衛庁長官だぞ。早く連絡しろ」だったそうである。
この事件のことは、地元・横須賀の市会議員たちの間ではよく知られている話だ。
だから小泉は地元には滅多に帰らない。 昔のことをあれこれ詮索されるのがいや だから、帰りたくないのである。(後略)

以上、「第496号」(2003.11.19)より一部抜粋 副島隆彦常葉学園大学助教授 副島国家戦略研究所(SNSI)主宰


<被害者の女性が、存在しているにもかかわらず、マスコミにでない理由>
http://www.unkar.org/read/society6.2ch.net/giin/1209738487←原本はここをクリック

事実は、小泉純一郎による婦女暴行事件は、実際に被害者の女性が存在していて、さ まざま媒体から出演が依頼されていた。
しかし、その女性は断っている。

親告罪であるため、500万円を小泉から和解金としてもらって和解しているが、もし、その女性が、「婦女暴行されました」と証言したりしてしまえばその500万円 は小泉側に、返金しなくてはならない。

そのため、被害者である女性は、500万円のためになかなか証言をしない。

しかし事件としては存在していたのだ。