聴衆の挙手は心臓に悪いですね

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1983年10月夜7時20分。場所は、他社の本社大講堂。
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私は壇上で絶叫し、机を握りこぶしで思い切りドォス~ン!
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「スーパーやコンビニの数字は、明日が分からぬ虚栄の数字。
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あなたは、街の小店が、あなたの企業、そしてあなたの家庭を最後に守ってくれる砦であるとの認識で仕事をしていましたか?」

私の履歴書・193

前段の能書は終って、いよいよ本論に入りました。
いかに、ライバルの顧客の小売店を奪取するかからを。

ランチェスター戦略の紹介で、先ずは広島での出来事を話しました。
(↑ ランチェスター戦略の概略はここをクリック)

広島のピンサロの呼び込み連中でも、喧嘩では戦略を無意識のうちに使っている事を。
(↑ この喧嘩を忘れた方はここをクリック)

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私は黒板に大きく○印を左にABCの三個と右にイロハの三個を描き、矢印数本を書きながら。
この話で、聴衆から発せられる熱波がぐっと強くなりましたね。
 
三人対三人の喧嘩を → 一人対三人の三回の喧嘩に細分化し → 攻撃量を1対9とする。
つまりパンチ一発で相手を殴るのに1秒かかるとしたら、Aはイロハの3名に一発づつ殴るのに3秒かかる。反して、イロハの各個人毎に、この3秒間でAを3発も殴ることが出来る。つまりイロハの三名で、僅か3秒間で9発もAを殴ることになる。

Aは一瞬でノックアウトされ、イロハの3名は即座にBに襲いかかり、同様にBを瞬時に倒し、そしてCをも一瞬で倒す。結果、ABCの三人は一瞬のうちのノックアウトされ、他方、イロハの三人は無傷のまま。これがランチェスター戦略である。


では、その小売店を奪取する戦略とは。

当時、藤三商会㈱の各支所では、事務所の壁にエリアのマップを貼っていました。そのマップは小さくて古いものが多く、何かを記入されていたとしても、せいぜい自社顧客の店の地点に赤い点を打っているのみ。

つまり、戦略的思考の指導を営業本部はしていないという証です。

               ☆

「住宅地図をコピーし、それを貼り合わせて事務所の会議室の壁一面に貼りなさい。
そのマップの上に全ての自社顧客を赤い名札に書いて松葉針で刺しなさい。

次に、全ての他社問屋の顧客も色分けした名札に書いて、松葉針でマップに刺します。
これであなたの市場は一目瞭然。」

               ☆

これが、ランチェスター戦略での基本の一つ、「ローラー調査」ですね。
そのマップを基に、市場をどう攻略するか、実例を交えながら説明していったのです。

黒板にその時の地図を描きながら。点から線へ。線から面へ。三点攻略法ですね。
当然、私の持ち時間の二十分はとうに過ぎています。

ど真ん中の席の聴衆から手が上りました。
ビクッ! 時間オーバーを指摘される! これで私の講演も終わりか!と思いましたね。

              ☆

「そこの挙手をしている方。はい、どうぞ仰って下さい」
「黒板の字が小さくて読めなく、書き写せません。もっと大きな字で書いていただけないでしょうか」
「分かりました。大きな字で、楷書で書きます」

後方の人からも挙手。
「はい、どうぞ」
「赤の字は、後ろの席からは見えません。全部白のチョークで書いてくれませんか」
「分かりました。赤チョークは使いません。全部白チョークで書きます」

               ☆

嬉しかったですね。しっかりと聴いているのですね。神様に見えましたね。
更に気がついたのは、ほぼ全員がノートを広げてペンを右手に持っている。

こうなったら、行ける所まで行け!
演台を隅に移動し、黒板を前面に。

私は、マイク片手に演壇の前ぎりぎりの位置に立つ。

この頃、田岡信夫氏のランチェスター戦略に関する著書は十数冊。
無論、これは全て読破していましたし、東京時代、八重洲ブックに度々行き、戦略と名がついた本は全て購入して読んでいました。

ですから、自分の日頃の活動は戦略的かどうか、他社の動きを見てはどのような戦略かを常に念頭に置いて動いていましたから、演壇での理論と実践例に困ることはありませんでした。

午後八時過ぎ、最後尾の席で挙手があり、何か言っています。
聞こえません。急遽、部下の笹山君が聞き取りに最後尾まで走りました。

内容は 「急遽、広島の有力な顧客が亡くなった。この講習のこれからの内容は、後日、岡山の所長からしっかりと聞いておくから今夜中に広島に帰って線香をあげさせて欲しい。今から京都駅に向かってギリギリ」 というものでした。

会議を取り仕切る取締役営業本部長にお伺いを立てずに、私に聞いてきたのです。
「当然です。何はともあれ、お客さまが先ずありきです。京都駅に急ぎなさい!」

講演を続けました。


この時に話した一つに、コカコーラー社の世界&日本戦略ですかね。具体的内容は忘れましたが。
その他、世界的企業の戦略ですね。全部、黒板に図解付きです。

この頃になりますと、国内でも、ランチェスター戦略導入による成功事例を発表する企業が増えていました。

無論、国内企業の販売戦略も実例の黒板図解付きで話しました。
記憶にあるのが、花王石鹸・イトーヨーカ堂


いつの間にか会場の柱時計は8時44分。つまり、1時間34分経過。
短縮された20分間ではなく、当初の1時間40分まで、残るは6分。

               ☆

「改めて申しあげます。
あの街角の駄菓子屋のお爺さんお婆さんの小店が、あなたの会社とあなたの可愛いお子さんを守る最後の砦であることはご理解出来ましたね。

この小店開発は、部下に任せるのではなく、あなた自身が、あなたの足で小店を訪問するのですね。
あなたが、あなたのマップで考えた戦略に基づいて。


そして、或る日突然、道は開かれます。 それは、あなたが顧客を獲得した時です。
換言すれば、あなたが自ら考えた戦略を自ら実践し、あなた自身で結果を出した瞬間です。

この時から、あなたに戦略的思考が定着するのです。
神は、あなたがこの道を歩んでくることを待っているのです!!」


「どうやら、私の持ち時間1時間40分に残るは30秒。
皆様のこれからの戦略的奮闘を期待して終わりと致します」

               ☆

そう言って私は壇上で深々とおじぎをしました。会場は、しぃ~~んと静まり返っています。
壇上から降りて、再度全体を見渡して軽く会釈。

その時、最前列の支店長クラスの内、5名程とその後ろの席の2名が立ち上がり、深々と私に向かっておじぎをしたのです。
傍に寄ってきた部下の笹山君の顔は、興奮で紅潮していました。

私は、側面でずらりと座っている取締役席の最前の営業本部長の元に行き、無言でおじぎをしました。
「いや~、よく勉強してますね」 とは彼の一言。

私はニコリと笑って、ゆっくりと15歩ほど先の会場出口の扉に向かいました。
背後で何か音がする。扉のノブに手をかけようとした時、背後で激しい拍手。

その時、何が起きたのか分かりませんでしたね。
取締役営業本部長が、何か新しい事を始めたのかと思いました。

ノブに手を掛けた時、何気なく後ろを振り返りました。
全員総立ち。

全員こちらを見ている。拍手しながら。
拍手の嵐は一段と高くなりました。

私は、そこでまた深々とおじぎをし、それからゆっくりと扉を開けて会場を去りました。

               ☆

「水無瀬係長! やりましたねぇ~~!」
「おォ~! 笹山君! 喋りすぎた! 直ぐ生ビールを飲みに行こう!」

                   この項はこれまで


参考)今までの藤三商会の記事

No.191《聴衆を総立ちにさせた私の講演》
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/58606744.html

No.192《講演は、最初の数行が勝負》
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/58617912.html



参考)藤三商会の跡地(2013年7月1日撮影)

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画像では右の建物。
井筒の風俗博物館となっている。

尚、この通りは花屋町通
突き当りが堀川通


参考)1983年(昭和58年)とは
東京デズニーランドOPEN・日本海中部地震おしん徳川家康ふぞろいの林檎たちスチュワーデス物語愛と追憶の日々ガラスの林檎/松田聖子・お久しぶりね/小柳ルミ子

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