私の新人教育は先ずは理論。実践は次。

毎日、飽きもせずに色々な事が起きますね。
JALの再建と、ニュースになるのも恥ずかしい自民党の総裁選。

何れも、旧態のままの小手先で改革を唱える。
特に自民党総裁選では谷垣禎一氏に呆れる。

彼の唱える「みんなでやろうぜ!」とは、皆が従来のままの位置で顔向きだけ手の振る方向への意味。
私は保証する。あの谷垣氏では、自民党の再生は出来ない。益々壊滅への道を辿る。

国民と言う市場が何を求めているのか? 
利権がらみの旧態の連中からの断絶を求めているのに、その旧態が彼が擁護する彼の支援母体。

私だったら、総裁に選ばれた席上で、無論報道陣のカメラの前で言う。
森元首相や古賀氏・町村氏に向かって 「第一線からの引退を求む」 と。


私の履歴書・185

1983年(昭和58年)当時のFF営業部の年間売上額は、200億円強。
販売構成比は、全国大小各地の販売会社への卸が80%。

本社FF本部の上司が 青葉部長(私が東京支店時代の支店長。早撃ちマック)と南田課長。
尚、FF部には東京本部もあり、ここは、山村部長が取り仕切る。

1982年、私に本社FF本部への転勤辞令が出たものの、引き継ぐ後任者が転勤拒否。
広島にいて広島の仕事をしながら、他方、本部の開発の仕事も兼ねましたね。

新規顧客開発対象は、アイスクリーム業界。
何しろ、我社は当時この業界に全く顔が無かったのです。

そこで部下を二名もらいました。この二名はBB部署からの転属ですね。
先ずは川中の問屋開発から。近畿の問屋名簿を基にローラー調査。

部下には、近畿の問屋600軒を片端から訪問させました。
訪問顛末はFAXで広島へ。それを見て、次に指示をFAX、又は電話で。

やらしてみたものの、期待する顛末は上ってこない。
やはり新卒で入社以来、レールの敷かれたBB課に五年も在籍すると、単なるお出入り営業マン。


ようやく新たに私の後任が決まり、私が広島を離れたのは年も押し迫った頃。
処が本社に正式着任して間も無く、部下二名を元のBB部が返せと言う。

この頃は人手不足。代わりに、春の新卒二名を配属してもらうことにしました。
この春の新人は127名。内訳は、四大卒72名、短大卒が11名、高・専門卒44名。内、女子が20名と記憶。

オリエンテーションが終わり、配属されてきたのは、笹山君と下川君。
どうやら笹山君は遊びこけてきた大学生活。下川君は真面目な大学生活。

さてさて、この二人をどう育てようか?

この二人には、ほぼ一ヶ月間、小会議室に缶詰にして毎日朝から講義です。
「ランチェスター戦略」をしっかりと頭に叩き込ませました。


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「水無瀬はいつまでそんなくだらんことをしているのか!」
「営業とは、頭でなく、身体で覚えるもの!」
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周囲からはブゥブゥの非難が巻き起こっていましたが、構わず続行。
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さて、いよいよ可愛い新卒二人に現場を踏ませる日。
先ずは、ラフな笹山君を車の助手席に乗せ、嵐山方面へ。
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車は、京都・四条通りの西の突き当たりの松尾大社前。
ここから数キロ北上しますと嵐山の渡月橋
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この物集女(もずめ)街道は、バス一台がぎりぎり通れる道幅。それに各家のひさしが道路ぎりぎりまで迫っています。


ここで笹山君に出した指示。

①販売商品は、C食品のロゴ・マークの入った機器。
②商店であろうと住宅であろうと、道路沿いを軒並み訪問せよ。
③一軒の訪問滞在時間20秒。
④連続して50軒訪問。一旦、休憩してから再度50軒訪問する。
⑤尚、私は、車の中から、君がちゃんと訪問しているかを見張っている。

「行け!」

彼の顔は、訪問件数を重ねる毎に赤くなっていきました。
10軒目ぐらいからピンクどころではありません。

真っ赤っか!
怒り狂った顔!

この街道沿いでは、何れにしても新たな機器の置き場所は全く無い。
もしも、買う人がいたら、その人は気が狂っている。

50軒の訪問を終えて、一旦車の中で休憩。
彼、当然、物一つ言わない。

私を横目でチラリと見る眼差しは鬼の目。山門の仁王どころではない。
目が吊り上がっている。

彼が沿道の住民に言われ続けた言葉。
「あんさんはアホか!」

再度、50軒に挑戦させました。途中、顔色がちょっと青に変わりました。
それを見逃さずに、この飛び込み訪問を打ち切りしました。


その日のアフターファイブ。彼等二人を晩飯に誘いました。
安くて量が多い店をご所望なので、近所の王将へ。

彼は相変わらず物一つ言いません。眼も合わせません。
黙々と大口で食べるのみ。たらふく食べさせました。

私は、彼を見てはクスクス。また見てはクスクス。
あの時の、血相を変えた表情を思い浮かべると、可笑しくって!


間も無く、新卒の女子達が我等FF部の席に集まるようになりました。
始業前やお昼休み、総務や経理部署の女性の喜悦の声があがる。

この二人、いつの間にか、新卒の本社勤務30名のリーダーでした。
無論、推されて同期会のリーダーとなりました。




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写真左、広島。我等家族が住んでいた長屋の玄関前。仲良しの向かい側の子供と一緒に。
写真右も、広島。この当時の写真は、子供のものしか無い。