山口市・常栄寺の雪舟庭は私には難解でした

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今朝でようやくNHKの朝ドラ「つばさ」が終りました。
マンマは井戸端会議用で視ていますが、その音声だけ耳にする私としてはやれやれ。
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毎回、思うのですが、どうしてNHKは視聴料を徴収していながら、あんな低レベルのものしか創れないのでしょうかね。
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私はプロデューサーと脚本家の力量不足とみますね。
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さて、28日から始まる朝ドラ「ウエルかめ」(徳島)では少しはましになるでしょうか。

私の履歴書・184

S電機広島営業所では、宇野食品との騒動以来、恐らく、私(水無瀬)を常時監視しておかないと何をするか分からないと言うのが本音でしょうね。

S電機和泉係長の要請で、和泉係長とは毎月一度、流川で熱燗一杯することにしました。
お互いの考えや情報交換ですね。

彼は、この業界では中々の理論家でした。
この行事は、私が広島を去るまでのほぼ毎月の四年間は続きました。

他方、S電機の佐倉所長は、時々、私をあちこちに連れて行きました。
所長の顔の効くS電機の出先や関係先を紹介してくれたのです。

ある時は「高知に行こう」というので高知にも付きあいました。
宇品港から水中翼船で松山観光港へは1時間。

松山市内からJRバスで高知に向かうのです。四時間かけて。
何しろ千数百メートル級の急峻な山々が連なる四国山脈の横断。
(松山から国道33号線→砥部→三坂峠→久万高原→佐川→高知)

バスは当にこれがJRバスだ!と言わんばかりに山の中をくねくね走ります。
途中、トイレ休憩が2度。それと峠の頂上で20分程の休憩。

峠の頂上には売店があり、そこで缶ビール一本。
渓谷の向こうの山の斜面のお茶畑を眺めながら。

高知に着きまして、S電機高知営業所の連中と乾杯。
我社の高知営業所もあるのですが、そこは管轄部署が違いますから寄らず。

佐倉所長は流石にシブチン。残念にもせっかくの五月なのに初鰹を食べさせてくれず。
ホテルに帰ってから、改めて外出。

はりまや橋の近所の公園の寿司屋に飛び込み、初鰹の刺身。1,800円。
翌年の五月も、初鰹を食べに広島から高知出張。この時も1,800円。十数年後も1,800円。不思議ですね?


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本社FF営業部では、関西のFF課所属営業マン15人程を度々広島に連れてきました。
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私がその彼等を下関に連れて行った時は、ペアーを組ませて各商店を訪問させました。
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初日の契約はゼロに近い。
二日目の午後になっても結果を出せず。
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茶店で逐次報告を聞いていた私はあせりました。
営業の手法が市場にマッチしていない。
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そこで、急遽、太字の黒マジックでA4の紙にいっぱいに三行のみ書き、コピーして全員に渡しました。

その三行とは、
『チャンスは今だ!』 『キャンペーン実施中』 『C食品』

彼等への指示事項六つ。

①訪問した時に言う言葉はたった一つ
「C食品のキャンペーンでお伺いしました」

②そして、このA4のチラシを見せる。
「うちは要らない」と即答があったら、直ぐにそこを去る。

③チラシをじっと見ていたら、「明日、もう一度お邪魔します」と言って直ぐにそこを去る。

④何れにしても一軒の滞在時間は最大で20秒厳守。

⑤営業活動時間30分厳守。宿の夕食時間に間に合うように。

⑥訪問指定地域は、下関の彦島地区。

この指示した時は、もう夕闇でしたね。

さて、翌日の午前。面白いものですね。前日まで全く契約できなかった彼等が、午前中に全チーム受注。
午後になっても各チーム、二台目、三台目と受注。

初回訪問の時、僅か20秒であっさりと去られましたら、追いたくなる心境で翌日の訪問を待っていたのでしょう。
何とか、指揮者としての面目が立ちました。



苦しかったのは、彼等を福山で営業をさせた二度目の時ですね。
例の通り、喫茶店で待機し、営業マン連中の経過報告を電話で聞いて、各々に指示していました。

処が、最終日の土壇場、どうしても今回の目標に数台足りない。
已む無く夕方、出かけました。

営業マンと一緒に訪問した先は、町外れの商店。
店の大きな看板には、C食品とはライバルメーカーの商品名。

店主の小母さんはなかなかの者。
ちとやそっとでは落とせない。

京都・室町の必殺の手を使いました。
小母さんの横に立ち、腕もとの白いふくよかな皮膚を爪先でほんの少しつまんで、思い切りつねったのです。

「ギャォ」と悲鳴を上げる小母さん。
「御免なさい! 御免なさい! ついつい手に力が入ってしまって!」と詫びる私。

腕には小豆ほどの小さな青い痣。
「おぉ、痛い!痛い! あんたには負けたわ。契約するから、契約書を出して!」と小母さん。
「有難う御座います!」

何とか、面目は保ちましたね。


FF本部主催の淡路島での訪販には二度付き合いました。
指揮をとらない一営業マンの立場での参加は、気楽なものでしたね。

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この頃の宿泊出張に出かけた場合の私の密かなモットー。
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それは二日間の仕事を一日で済ませ、もう一日を観光にあてることでしたね。
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記憶の中にあるものの一つに、
山口市・常栄寺・雪舟庭があります。
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山口市内のホテルを朝十時に出たものの、さて、何処に行こうか。


そこで、入った喫茶店で聞いたのがここ常栄寺。

昼前にこのお寺に入って、庭の見渡せる座敷に座り込む。
何しろ平日の曇り。誰も来ない。
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この庭の前でじっと座り続けましたが、ちっとも分からん!
遂に閉門の午後五時。追い出されました。




尚、実は57年2月に私に転勤辞令が出ていたのです。
本社FF営業本部新規顧客開発担当係長として。
(私はその一年前から係長になっていました。)

処が、私の後任者が大阪から広島への転勤拒否。