天使になる子供達

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社内を見渡しますと、お子様を小さい時に亡くした方が結構いるのに驚かされます。
病気で、あるいは事故で。
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私のかっての上司の中では、二人の方がいますね。
同僚では、病気で二人のお子さんを亡くしました方が一人。
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今日でお彼岸の五連休もお仕舞。
今夜、お子様達の霊は、再び天上に帰るのでしょうね。

私の履歴書・183

広島の前任地の東京支店時代ですね。1976年?(昭和51)
私の上司は岡田課長。
その時、彼のお子さんは、上の男の子が三歳、下の男の子が二歳かと思います。

彼の住居は、西武池袋線所沢駅の向こうの新興駅徒歩二分の借家。
何しろ、駅は出来たばかりで、改札を出ましたら畑。
彼の家も畑の真ん中の一軒屋。

宅地造成をするために、畑は浅く掘られていたところに前夜の降雨。
直径20cmほどの水溜りがあちこちに出来ました。

その水溜りの一つで小さな兄弟は遊んでいました。
キッチンからその様子を視ていた奥さんは、ほんの5分間、目を離しました。

その時、下の男の子は濡れた泥に足をとられる。
顔からその小さな水溜りにボチャン! 深さ僅か2cm。

心臓麻痺。
救急車の中で亡くなりました。

以後、奥さんは自宅に引きこもります。
何とか気分一新をと、会社では彼を札幌の子会社に転勤させます。
札幌ではマンション生活。奥さんの回復には限界がありましたね。




他方、父の葬儀も終った翌年(1983年 昭和58)早春の広島での事。

幼稚園の女の子が、大型トラックに轢かれて亡くなりました。
場所は、広島市内を東西に走る六車線の国道二号線出汐信号交差点。

その日の国道は朝から大混雑。寸刻み。
歩道用の信号が青になり、幼稚園の子供数人が長い横断歩道を歩む。

西行き片側三車線の横断歩道の上で停まっている車を掻き分けながら。
その時、横断歩道の上で停車中の大型トラックは、前が動いたから動いたのです。

眼下のバンパーの前を幼稚園の女の子が歩いているのに気がつかず。
運転席からは死角。 見えないままに動き出しました。

バンバーで、女の子を押し倒したことに気がつく由もなく。
それから前輪で一旦轢き、更に前進して後輪で轢く。

後輪のダブルタイヤのタイヤとタイヤの間の溝。
その溝に女の子の身体が巻きついてしまう。

最初に気付いたのは、後ろを走っていた乗用車でした。
停まったのは数十メートル進んでから。

子供が交通事故に遭ったとの電話を事務所にいた小橋所長が受け、現場に駆けつけました。

その時、タイヤにはさまった小橋所長のお子さんの亡き骸は、未だ、取り出せていなかったそうです。


追記)その後、小橋所長は、お嬢さんの賠償金で、新築の家(広島市佐伯区)を買いました。

                             この話は、ここまで。