広島の将軍さまを、交渉の場に、こうして引きずり出しました
.
並な言葉で言いますと、人生、色々ありますね。
.
絶対絶命とか、不可能とか。
.
四面楚歌でも、何処かに道はある。
.
結果を恐れたら何も出来ない。
.
新たな道を開くのは、『果敢』。
並な言葉で言いますと、人生、色々ありますね。
.
絶対絶命とか、不可能とか。
.
四面楚歌でも、何処かに道はある。
.
結果を恐れたら何も出来ない。
.
新たな道を開くのは、『果敢』。
彼等は、ひたすら客から事務所に注文の電話が入って来るのを待つ。
実績があがるわけは無い。
実績があがるわけは無い。
さて、
大阪・京都・名古屋・東京の各FM課の販売は、S電機製造C食品メーカーのロゴ(シンボルマーク)の入ったマーク機(以下C機と称す)。これを月間70台前後販売していましたね。
注)S電機との会社全体の取引規模は、この当時で年間50億円。約二万台。
この五年後が年間120億円。最盛期が年間170億円。
この五年後が年間120億円。最盛期が年間170億円。
処が、中国地方だけは、このC機の販売不可。
ここでは広島・宇野食品とそのグループが、C機の販売を独占していました。
ここでは広島・宇野食品とそのグループが、C機の販売を独占していました。
C食品が未だ弱小の頃からこの地方で取り扱っていた宇野食品に、C食品広島支店も頭が上らない。
その状況のもと、広島でC機を販売するにはどうしたら良いか?
その状況のもと、広島でC機を販売するにはどうしたら良いか?
C食品本社もC食品広島支店も、中国地方は宇野社長の了解を採るようにとの仰せ。
宇野社長に面談申し込みの電話を入れますが、拒絶の連続。何しろ通称『宇野将軍さま』。
宇野社長に面談申し込みの電話を入れますが、拒絶の連続。何しろ通称『宇野将軍さま』。
無理も無い。我等はマークの無いものを改造し販売。
宇野食品の販売したC機を次から次へと店頭から撤去。宇野社長は、カンカンでしたからね。
宇野食品の販売したC機を次から次へと店頭から撤去。宇野社長は、カンカンでしたからね。
通常の交渉の仕方では、埒(らち)が開かず。どうしたら、宇野社長を交渉の場に引きずり出すか。
C機を製造している大手S電気も我等を無視。四面楚歌。
C機を製造している大手S電気も我等を無視。四面楚歌。
先ずは、大阪支店名でS電気にC機100台を発注し、関西倉庫に入れてもらう。
その倉庫から、お抱えの運送会社の11tトラックで三回に分け広島・日通宇品倉庫に運んでもらう。
その倉庫から、お抱えの運送会社の11tトラックで三回に分け広島・日通宇品倉庫に運んでもらう。
返信が来た先から訪問し、片端から契約。C機を設置して行きました。
宇野社長、当初は勘違いし、自分の会社の営業員が販売したものと満足。
処が、一気にバタバタと着いたものですからびっくり仰天。
処が、一気にバタバタと着いたものですからびっくり仰天。
蜂の巣を突っついたような騒ぎになりました。
つづく
つづく