今日の日経朝刊記事補足
元公明議員らに東京高裁が賠償命令 手帳訴訟、矢野氏勝訴
自宅を家捜しされ、政界での活動などを記録した手帳を無理やり奪われたとして、矢野絢也元公明党委員長が、同党の元国会議員3人に1000万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は27日、矢野元委員長が敗訴した一審判決を取り消し、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた。
南敏文裁判長は「元議員らは矢野元委員長に対し、多数の創価学会員や公明党員が危害を加えるかもしれないと脅して手帳を渡させ、妻の部屋まで捜索してプライバシーを侵害した」と判断した。
判決によると、元議員らは2005年5月に4回にわたり、矢野元委員長の自宅を訪れ、手帳を持ち帰るなどした。これに対し、週刊現代は同7月「矢野極秘メモ百冊が持ち去られた」と題する記事を掲載した。〔共同〕(07:00)
自宅を家捜しされ、政界での活動などを記録した手帳を無理やり奪われたとして、矢野絢也元公明党委員長が、同党の元国会議員3人に1000万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は27日、矢野元委員長が敗訴した一審判決を取り消し、元議員らに手帳の返却と300万円の支払いを命じた。
南敏文裁判長は「元議員らは矢野元委員長に対し、多数の創価学会員や公明党員が危害を加えるかもしれないと脅して手帳を渡させ、妻の部屋まで捜索してプライバシーを侵害した」と判断した。
判決によると、元議員らは2005年5月に4回にわたり、矢野元委員長の自宅を訪れ、手帳を持ち帰るなどした。これに対し、週刊現代は同7月「矢野極秘メモ百冊が持ち去られた」と題する記事を掲載した。〔共同〕(07:00)
この件に関して、四大日刊紙は過去何等詳細を説明していないと言う事ですので、今回は、矢野氏の手記を抜粋して掲載しておきます。全文を読みたい方は、下記題字をクリックして下さい。
創価学会と公明党にとって最大の危機となった昭和45年の言論出版妨害事件では、国会で政教一致問題が追及され、池田先生の証人喚問要請もされたが、心血をそそいで防戦に尽力した。
他にも国税庁による学会への二度の税務調査等、学会の意を受け、様々な問題を処理してきた。その間、あからさまに口外できないようなこともたくさん処理してきた。創価学会、池田先生を守らればという使命感をもって活動してきたのだ。
しかし、昨今の創価学会は私の知っていた学会とはかなり違ってきているように思う。昔は「ただで動くのは創価学会と地震だけだ」と言われたが、今は寄付集めが暴走しているようだ。
また脱会者への嫌がらせ、機関紙などでの悪口雑言……、一口で言えば「やり過ぎ、行き過ぎ……、それも非常識で反社会的なこと」が目立つ。行き過ぎた創価学会を糾すことが、学会、特に学会員の皆さんに対する私の恩返しだという気持ちもある。
このような形で訴訟を起こすことや、公の場で発言していくことが、日本の民主主義を守るために必要なことだと、今は確信している。
他にも国税庁による学会への二度の税務調査等、学会の意を受け、様々な問題を処理してきた。その間、あからさまに口外できないようなこともたくさん処理してきた。創価学会、池田先生を守らればという使命感をもって活動してきたのだ。
しかし、昨今の創価学会は私の知っていた学会とはかなり違ってきているように思う。昔は「ただで動くのは創価学会と地震だけだ」と言われたが、今は寄付集めが暴走しているようだ。
また脱会者への嫌がらせ、機関紙などでの悪口雑言……、一口で言えば「やり過ぎ、行き過ぎ……、それも非常識で反社会的なこと」が目立つ。行き過ぎた創価学会を糾すことが、学会、特に学会員の皆さんに対する私の恩返しだという気持ちもある。
このような形で訴訟を起こすことや、公の場で発言していくことが、日本の民主主義を守るために必要なことだと、今は確信している。
手帳は全部で百冊近くあり、30年近い私の公明党書記長、委員長としての政治家活動における裏表のすべてが記されている。さらに私が関わった創価学会の重要事件の裏事情も詳細に記されている。
例えば、昭和45年の言論妨害事件顛末。学会と共産党との創共協定の形骸化工作。池田名誉会長の女性問題を記事にした『月刊ペン』との裁判、その後の二審差し戻し」逆転判決の背景。日蓮正宗の本山である大石寺との二回にわたる紛争。
国税庁による創価学会への税務調査の内容、その経過、とくに公私混同問題での釈明陳情。そして、竹やぶ金庫事件、等々。さらには政治家として、国会での攻防における、各党幹部との交渉の様子なども詳しく記されている。
また、私のプライバシーに関わることも、IDナンバー等を含め、詳細に記述されている。これらの内容が開封されたり外部に流出したりすれば、私自身のみならず各方面にも多大な迷惑を与えてしまう。だから私は盗難、火災も考慮して、厳重に保管していたのだ。
三人の元国会議員は、私に対し、公明党OB議員だけでなく組織の人々が怒っているなどと再三述べた。さらに今後、言論活動をやめるとしても、悪の根源である手帳が私の手元にある限り、それが守られるかどうか保証がないので手帳を渡すようにと執勧に迫ってきた。
例えば、昭和45年の言論妨害事件顛末。学会と共産党との創共協定の形骸化工作。池田名誉会長の女性問題を記事にした『月刊ペン』との裁判、その後の二審差し戻し」逆転判決の背景。日蓮正宗の本山である大石寺との二回にわたる紛争。
国税庁による創価学会への税務調査の内容、その経過、とくに公私混同問題での釈明陳情。そして、竹やぶ金庫事件、等々。さらには政治家として、国会での攻防における、各党幹部との交渉の様子なども詳しく記されている。
また、私のプライバシーに関わることも、IDナンバー等を含め、詳細に記述されている。これらの内容が開封されたり外部に流出したりすれば、私自身のみならず各方面にも多大な迷惑を与えてしまう。だから私は盗難、火災も考慮して、厳重に保管していたのだ。
三人の元国会議員は、私に対し、公明党OB議員だけでなく組織の人々が怒っているなどと再三述べた。さらに今後、言論活動をやめるとしても、悪の根源である手帳が私の手元にある限り、それが守られるかどうか保証がないので手帳を渡すようにと執勧に迫ってきた。
私はさすがに堪忍袋の緒が切れ、「そんなことを仰るならね、もう全部返して下さい」「強盗ですよ」と激しく拒否した。しかし、身を乗り出して私に迫り、「この次何か出てきたら、大変なことになる可能性がある」「ここにね、六千名のOBと議員がいるわけですよ」といった言葉で脅し、家捜しを認めざるを得ないように強要してきた。
元国会議員三名は「紙一枚でも残っていたら、大変なことになる」としつこく迫った。上記は、全て彼らが法廷に証拠として提出した録音データに基づいている。それらは高裁への当方の準備書面に詳細に記述されている。これを彼らが否定できる筈はない。
結局、私の家の隅々まで調べまわって、個人的な資料が残されていないか、徹底的に調査していった。その際、不動産の取得・処分に関する資料や絵画・骨董品、銀行関係書類などを点検し、あげく私に対して創価学会へ寄付するようにも求めてきた。これが国会議員を務めた人間のすることかと、憤りを覚えた。
元国会議員三名は「紙一枚でも残っていたら、大変なことになる」としつこく迫った。上記は、全て彼らが法廷に証拠として提出した録音データに基づいている。それらは高裁への当方の準備書面に詳細に記述されている。これを彼らが否定できる筈はない。
結局、私の家の隅々まで調べまわって、個人的な資料が残されていないか、徹底的に調査していった。その際、不動産の取得・処分に関する資料や絵画・骨董品、銀行関係書類などを点検し、あげく私に対して創価学会へ寄付するようにも求めてきた。これが国会議員を務めた人間のすることかと、憤りを覚えた。
この四人に対しては、学会の会合においても誹誇中傷は日常的であった。呼び捨てにし、氏名を書いた紙を仏壇に置き、彼らを悪、学会を正義としてあたかも呪い殺さんばかりの祈りをするように会員に指導していた。
また、会合における会場の出入り口の床に、彼らの名前を置いた紙を置いて土足で踏みにじらせるなど、常識では考えられないやり方で、会員の憎悪心を掻きたてていた。
これは私が直接目撃したことである。このような人身攻撃は、それに連鎖、連動する学会離れ、造反を未然に防ぐための見せしめであった、といえよう。
また、会合における会場の出入り口の床に、彼らの名前を置いた紙を置いて土足で踏みにじらせるなど、常識では考えられないやり方で、会員の憎悪心を掻きたてていた。
これは私が直接目撃したことである。このような人身攻撃は、それに連鎖、連動する学会離れ、造反を未然に防ぐための見せしめであった、といえよう。
ここで特筆すべきことがある。私が党役員のとき、学会首脳が第三者を使い、藤原氏の暗殺を計画しているとして、藤井富雄都議会幹事長が私の自宅に来て、「そういうことは学会の自殺行為になるので、矢野さんから止めてもらいたい」との真剣な要請があった。
私は秋谷会長にその旨を伝えた。暗殺依頼の真偽はともかくとして、そのような深刻な懸念を藤井氏が感じて、私に「取りやめ」を学会首脳に進言するように頼んできたのは厳然たる事実である。
この事件の詳細は持ち去られた私の手帳に記入されている。必要があれば裁判所が職権でそれを閲覧することを拒まない。私は三年前、元公明党議員三人が私の自宅を訪れて手帳引渡しを要求したとき、過去においても、私が生命に及ぶ危険を覚え、畏怖するに足る背景があったことを証するため、不本意ながらこの事実をあえて法廷でも開示した。
私は秋谷会長にその旨を伝えた。暗殺依頼の真偽はともかくとして、そのような深刻な懸念を藤井氏が感じて、私に「取りやめ」を学会首脳に進言するように頼んできたのは厳然たる事実である。
この事件の詳細は持ち去られた私の手帳に記入されている。必要があれば裁判所が職権でそれを閲覧することを拒まない。私は三年前、元公明党議員三人が私の自宅を訪れて手帳引渡しを要求したとき、過去においても、私が生命に及ぶ危険を覚え、畏怖するに足る背景があったことを証するため、不本意ながらこの事実をあえて法廷でも開示した。