やはり「国策捜査」

この時期に検察があえて強制捜査に着手したことについて、「国策捜査」などの見方もあったが、どうやら、今回の検察の強制捜査着手は、これ程までに大きな政治的影響が生じることを認識したうえで行われたのではなく、むしろ、検察側の政治的影響の「過小評価」が現在の混乱を招いているように思える。

その推測の根拠は、今回の強制捜査着手後に、東京地検の特捜部以外の他の部のみならず、全国の地検から検事の応援派遣を受けて行われている事実だ(3月8日付毎日)。
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 検事の異動の大半は、定期異動で行われる。全検事のうちの3分の1近くが一斉に異動する年度末を控えたこの時期、事件の引き継ぎの準備を行いながら、捜査・公判の日常業務を処理しなければならない全国の地検はただでさえ多忙だ。そのような時期の応援検事派遣には検察部内でも相当な抵抗があるはずである。
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ましてや、今年5月には裁判員制度の施行を控えており、検察は、この制度を円滑に立ち上げることに組織を挙げて取り組んできたはずだ。この時期、定期異動に伴う繁忙を克服して、裁判員制度開始に向けての総仕上げを行うことが、裁判員制度導入の中心となってきた樋渡利秋検事総長の下の検察にとって、何はさておいても優先させなければならない事柄だったはずだ。

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以上が日経の主張の一部ですが、日経は控え目に「国策捜査」ではない!と言っていますね。

問題は、小沢党首が、ヒラーリー・クリントン国務長官との日本での会談を渋ったように、米国に対して小沢党首は距離を置こうとしていましたね。

田中角栄元首相が、中国との親交を深めたことにより、米国に刺されたように、小沢党首も、米国の圧力により、麻生が指示して国策捜査となったと観る事が出来るでしょう。

何故に、今回の秘書の逮捕が無謀だったのかは、上記、日経の記事の横線を引いたところをクリックしたら全文が開きます。(1)から(5)までありますよ。


尚、小沢の公設秘書が逮捕されたのは3月3日。麻生首相検事総長との会談が疑われているのは前日の3月2日。