逆に飛んで火に入る夏の虫にしてやりました

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私の所属する営業部を潰すという青葉支店長は、
あの手この手できましたね。
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しかし、今思い返しますと、よくぞ私も対応出来たもの。
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逆転劇の連続で、結構、面白かったからかも。

私の履歴書・121

偶々訪問した先の紹介で、小さな店舗の改装を依頼されました。

設計を東京支店CC課の佐倉課長に依頼。
(尚、青葉支店長と部下のCC課佐倉課長は同じ38歳で幼少の頃からの親友)

佐倉課長は、三週間後なら完成図面を渡せるとの事。
処が、二週間経っても設計に着手している雰囲気ではない。

期日を再確認すると「大丈夫!任しておいて」
遂に期日が来ました。

図面を受け取りに行きますと軽く「あァ、あれ、やっていないよ」
「約束したじゃないですか! お客さんに今日提出と言っているのですよ」

「水無瀬君、遅れることはよくあること」
「そんないい加減な!」

「適当にお客さんに弁解しといて」
こんなやりとりを繰り返しました。

私、切れましたね。

課長の机をド~~ンと力任せに叩き「いい加減にせい!」
続けて「あんた!課長でしょう! 課長のくせに何とでたらめな!」
更に、机をド~~ン! 「課長と聞いて呆れるわ!」

でも、吉本新喜劇の未知 やすえ(みち やすえ)の台詞「脳味噌チューチュー吸うたろけ!!!」の迫力には及びませんがね。

青葉支店長「マァマァ、ワシからも直ぐやるように言っておくから」
私「このでたらめ課長の上司は、あんたじゃないですか!」


この件からでしょうね。青葉支店長が、我が営業部を潰す方針を変更したのは。

それまで、支店長は、取り巻き社員三人と週二回ほどアフターファイブに近くの雀荘(じゃんそう)で麻雀(マージャン)をしていました。

この日、初めて麻雀に誘われました。
メンツ(メンバー4人)が一人足りないという名目で。

始まってから間も無く、どういう訳か欠けたメンバーが入って来たのです。
そして、私の後ろに座ってじっと私の打ち方を観ていました。

時々後ろで驚きの声をあげる。「何で、その牌(ぱい)を切る(捨てる)の?」
私の麻雀のレベルを調べるためでした。

私の麻雀は、極めて下手と言う評価が下されて、その後も誘われるようになりました。
私をカモにしようとしたのです。

処がご期待に副えず、私がいつも勝つのです。
「そんな馬鹿な! 下手くそ水無瀬が勝つなんて!」

私の目標は、一晩プラス一万円。支店長が不参加の時は徹夜も度々。
翌朝、事務所が開くまでは車の中で一時間ほどひと眠り。

徹夜の時の午前二時頃は、度々麻雀牌が空中を飛び交いましたね。
彼等が安全と思って切った(捨てた)牌(ぱい)に私がロン(当り)!

「あたまに来た!」と悔しさに怒り狂い、麻雀牌をすくって天井に投げるのです。

何度やっても性懲りも無く私を誘う。
博打(ばくち)の当に生涯負けパターン。

これが1年は続きました。

お陰様で、勝つ度に二万円前後のネクタイや靴を購入。それを見せびらかしますと尚更猛り狂う。
「下手くそな水無瀬よ! おまえに負けるはずがない!」

私の次の目標は、当時、訪問していた伊藤忠本社のおしゃれな課長連中が着ている背広。
御幸(みゆき)毛織でのオーダーメイド。一着20万円前後。

私は、一着でそこまでは無理でしたが、一度に御幸毛織と大同毛織のイージーオーダーを各一着作りました。
麻雀の金で。

麻雀が沈静化したのは、メンバーの中のある奥方からの電話からです。

奥方「主人を麻雀に誘わないで下さい」
私「私から誘ったことは一度もありません! 私も誘われて迷惑なのですよ」

長期間、生活費にまで食い込んでいたのですね。泣かれました。

私を麻雀で潰すという青葉支店長のもくろみは、青葉支店長の取り巻き三人の家庭に多大な金銭的損害と家庭不和をもたらすという結果となりました。

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