中年男の嫉妬

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青葉支店長の一声 「水無瀬君、君の営業部は潰してやる!」
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この痛烈な言葉。支店長38歳。私は29歳。
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私、笑いながら「あぁ、そうですか」と言って頷きながら退きました。
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翌日からも私は何事も無かったように勤務。
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支店長、顔色一つ変えない可愛気の無い奴と思ったでしょう。

私の履歴書・120

私の仕事は、従来の販売チャネルを使わずに新しい顧客を開発する事。

私が最初に訪問したのは丸の内にある当時日本一の企業「三菱商事本社」。
この様子は、以前、このブログ記事で紹介していますね。

とにもかくにも大手企業に電話でアポをとり、メイチに訪問しました。

下町の食品製造会社にも訪問。焙煎業者や製麺業者・豆腐業者まで。
その場合は、徒歩と電車を小刻みに乗り継いで一日の訪問件数は30件から50件。

日報に添えて交通費清算書を出しますと、支店長と会計の木下君が口を揃えて言いました。
「水無瀬は、交通費を誤魔化している」

当時の東京支店の既存ルート担当のBB課での一日の訪問件数は平均5件未満。
毎朝、朝礼が終わると、連中は秘密の喫茶店へ集合。20人程でしょうか。

メンテナンス要員は、ここ喫茶店で昼食を済ませてから仕事へ。
BB課の営業員10名程は、時には朝から夕方まで喫茶店

夕方、「何かありますか?」と会社に電話。注文の電話が入っていると、発注組織に訪問。
注文書に捺印をもらって揚々と帰社。「きょうは、大変だった!」とか言うのです。

こんな調子の課を指揮し続けてきた青葉支店長達にとって、私の行動は理解出来ないものでした。

私の毎日提出する日報には大手上場会社と担当者の名前と商談内容がずらり。
「水無瀬は、日報に嘘を書いている」といわれましたね。


この会社でのBB課が属するBB営業部は、国鉄との取引が悲願でした。
国鉄での取引口座を開けましたら、社員表彰状ものでした。

私は、偶々訪問した先の社長と部長が国鉄OB。
次回訪問時、私の作成した国鉄への提案書を見せて協力を求めました。

何故か、社長の賛同を得て、そこの部長と同行。上野の国鉄本社訪問。窓口は国鉄本社用度課係長。

@600円程のサービスランチを一緒に三回食べただけですが、注文書に係長の印鑑を押して貰いました。
手始めに千駄ヶ谷駅納入分。単価87万円を一台。



私「国鉄との取引口座を開きまして、受注しました」
支店長「水無瀬君、嘘言ったらいかんよ。自分で注文書に判子を押すなんて」
私「国鉄から正式な注文書は、一週間以内に郵送されて来ます」
信用しなかったですね。信用したくなかったのが本音。

その後、本体機器を千駄ヶ谷駅に納入しても認めたくなかったのです。
国鉄の支払条件は、月末締め翌々月末現金振込み。

その振込の日、第一勧銀に日本国有鉄道の名前で振込みがありました。
それを確認した青葉支店長と会計の木下君の言葉。

「水無瀬は、国鉄の名前を詐称して振り込んだ!」

呆れましたね。

彼等が何年かかっても開けなかった悲願の国鉄との取引口座。
私に簡単に取引口座を開かれて立場が無かったのでしょうね。