出張とは官費での小旅行

私の履歴書・106
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毎週二日間のサボタージュの日は、朝から真っ先に喫茶店へ。
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そこは淀川の西堤防の道路から下りた畑の真ん中。
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茶店にある横山光輝の長編マンガ「三国志」全60巻を読破するには二日半かかりましたね。
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その後、再読したいために、第一巻から2~3冊づつ時々買いました。
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左の写真は、私の買った全60巻と説明書2冊です。
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このマンガ本を部下社員教育の教材にして素晴らしい結果を得れるとは、その時には夢にも思わなかったですね。
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それは12年後の昭和60年広島と次の赴任地札幌での出来事でした。この話は何れまた。



さて、明けて一月、新たな使命が山村部長から為されました。
新しい顧客層の開発です。

私の担当地域は中国・四国。関東は、先輩の亀山社員(32歳)。東海北陸は二谷主任(51歳)が担当。
この我等三名は、早速、各々の担当地域に出張しました。

尚、九州は新たに現地採用された中年の人が福岡支店に本部付けとして駐在。
近畿は、子会社(当時全国的にも有名なあるメーカーの販社を買収)が担当。


私は、国道二号線で岡山営業所をパスして先ずは広島営業所へ。
1974年のことですから、本社広島の大黒屋食品が「コンビニ・ポプラ流川1号店」を開店した時でしたね。

広島営業所の所長が案内してくれたのは夜の流川で、先ずは安い居酒屋。
次が婆のバー。この時は半分眠っていました。

二日酔いでも仕事は仕事。広島では何等かの食品製造会社に片っ端から飛び込み訪問。広島二泊。

次は宇品港からフェリーに乗って松山へ。

フェリーでは三時間の船旅。お天気が良くて流石に瀬戸内海は穏やか。
小島が宮城の松島のように点在していますし、心地よい海風。すっかり旅行気分になりましたね。

さてさて、せっかくですから松山・道後温泉に泊まらなきゃ。
たが、お祭りか何かがあって市内や周辺のホテル・旅館はどこも満室。

空いているのは郊外の連れ込みホテルのみ。止むを得ず、ここに1人で宿泊。
逆さクラゲに1人とは侘しい!! 

換え下着が無くなり、ここで洗濯。浴槽にお湯を10㎝程入れて、洗剤を入れて三日分の下着を漬ける。
それを足で踏んでの洗濯。至って原始的。

干す所が無いから、カーテンレールに干しましたね。
翌朝、窓ガラスがびしょびしょ。カーテンもびしょびしょ。

朝は道後温泉の坊ちゃん湯に浸り、給料の安いのに不満ながらも出張の余禄に満足。
田んぼの真ん中に白い蒸気。そこが冷凍食品の「加ト吉」の当時の姿。

とにもかくにもドライブ旅行気分でしたから、出張報告書に書ける相手先の名刺を貰うことだけが目的でしたね。

松山から瀬戸内沿いを高松に向かって走りました。
観音寺あたりから田んぼの中には流石さぬきうどん屋がポツン!ポツン!

田んぼの中に降り、店に入るとセルフ方式でうどん40円(?)。
美味しいのでもう一杯。お腹が一杯で身動き出来ない! 自然と眠くなり車の中でちょっと昼寝。


「早めに来い!一杯やろう!」と高松営業所長に言われていましたので、そのまま高松営業所へ。

夕刻から居酒屋で所長と乾杯! 次はバーをはしご。
事前に宿泊場所をとっていなかったのが間違いの基。

独身の所長「水無瀬君!わしとこに泊まれ!」と。

彼のチリ一つない部屋のテーブルで更に飲みました。
彼は煙草を吸わない。

緊張している私。どうしても煙草を吸いたくなる。
出してくれた灰皿は、銀紙で皿状にしたもの。

その手製灰皿に人差し指でポンポンと灰を落とすと、アナ不思議!
灰は一瞬、空中を舞い、そして銀紙の灰皿をわざと避けてテーブルの上に。

彼は人差し指を舐めてその灰を拾うのです。

普段灰皿の外にはこぼれない煙草の灰。何故か都度ヒラヒラ舞う! 
その都度彼は人差し指を舐め、灰をなぞる。これは地獄の針の山でしたね。