我が町の常識とは?

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今年の我が町の役場の押印は、一年前と違ってまともになっていた!


昨年の今頃のこと、役場に行き、今回と同じ書類に押印をしてもらった時の話しです。
処が、押印してくれた場所が欄外なのです。しかも傾いて。
(上記写真の赤い四角の場所が昨年の押印してくれた場所)

私「押印は、印と書いてある押印場所の四角い点線の上にちゃんとして下さい」
職員「あら、この押印場所の何処が悪いの?」

私「この場所へは、捨印なら分かりますが、公式文書の捺印としては無効ですよ」
職員「でも、この場所への押印でちゃんと公式文書として通用しますよ」

私「あのねぇ、少なくとも印が四角の点線の中に一部でも入っていなければならんのですよ」
職員「- - - - - 」(納得しない素振り)

私「欄外に押すのがこの役場の常識なら、弁護士や司法書士に一度聞いて確認して下さい。
そして、職員全員に、この事は徹底して下さい。まともな場所にちゃんと押印するのが、あなた達の役目と誠意の問題じゃないですか!」  (私、大きな声で言いましたよ)



さてさて、次は我が町の川口町長の非常識が訂正されない話し。

川口町長のホームページには、「水無瀬川Field Note」という書庫がある。その中には、我が町の水無瀬川の事が写真付きで書かれている。

処が処がびっくりしたもの。
この町で生まれた彼が、まさか!

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上記の左の写真は、町長のホームページの「水無瀬川Field Note」→「2002 Vol.021 07.22 梅雨明けとヒマワリ」欄です。
写真右は、隠岐海士町役場のサイトで掲載している年表です。

下記写真は、この水無瀬川Field Note」→「2002 Vol.021 07.22 梅雨明けとヒマワリ」欄の記事の最下段を切り取ったもの。

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この和歌は、新古今和歌集巻一・春上・36で、太上天皇(後鳥羽院)が水無瀬で詠んだもの。
処が、彼は、この歌の末に「後醍醐上皇」と記しているではありませんか。

後醍醐と言いますと、後鳥羽院の孫。

以前、変だ!と思いました時に、町長室にメールした記憶があるのですが、記事はそのままです。

ひょっとして、私の間違いで、隠岐に流された時に後醍醐上皇と言われてのかも?と思って隠岐海士町役場のサイトを調べました。

やはり後醍醐天皇後鳥羽院崩御されてから約100年弱後に隠岐に流されているので後鳥羽院を「後醍醐上皇」と呼ぶはずが無いですね。

我が町の我が町生まれの町長が、水無瀬離宮を創った後鳥羽院を知っていても、我が町の春の情景を歌で描いた有名な和歌の作者後鳥羽院を知らないとは!!

そして、恐らく彼のホームページを見ているだろう町の職員も指摘をしないとは!

我が町の常識って、裸の王様の常識を指すのでしょうかね?