ユーさん、風化はさせません!

改めまして、JR西日本・尼崎脱線事故で亡くなられました107名の皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

そして、この事故で亡くなられました女性のyouさん(仮称)ご要望の、新たな詩と歌が、いまだ未完である事をお赦し下さい。


尚、youさんは、この4月15日未明に既に天界から舞い降りて来ていまして、命日の25日をご自宅で迎えたようです。


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25日午後四時半の事故現場の献花台です。


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一両目が突っ込みました駐車場の傍にある献花台です。
今年もご焼香をさせていただきました。




実は、一昨年(2006年)の命日4月25日には、事故現場の献花台には行かなかったのです。
前日までは、行くべしでおりました。行きましたのは五月下旬なのです。


それは、25日の前日の深夜、亡きその女性が、寝ている私の枕元まで来たからです。

私は小さな声で言いました。
「お会いしない方が良いでしょう。只、私が何をしたら良いのかを教えて下さい」

更に「あなたのお嬢さんがお待ちしていますから、早く会ってあげて下さい」と。

お子さんがいる年齢との先入観がありましたから、こう言ってしまいました。
その時、その人は、お顔を見せずに消えて行きました。


私は直ぐに後悔しました。やはり会うべきだと。
そこで5月下旬、献花台で「お名前と、私のすることを教えて下さい」と念じました。



そして、昨年(2007年)の命日の4月25日の午前三時四十分、ふと目覚め、うとうとしているときです。

突然、その人の顔写真とその写真の下に、その人のお名前が漢字で出てきました。
更に、そのお名前の下には、カタカナで四文字。恐らく、その人の愛称だと思います。


急いで起きて、以前調べた亡くなられた方々の名簿を開きました。
その名簿の中に、確かにそのお名前が有りました。



同年6月17日、歌詞の一番から三番までの最初の数文字と最初のメロデーだけが聞こえました。
その時、私のすることとは、新たな歌を創ることだと分かりました。

でも、その続きの作詞作曲は、イメージは湧くのですが、文字での表現が上手く出来ません。


同年8月22日午前四時、目覚めましたら、youさんは着物姿の喪服で枕元に立っていました。
私の顔に何かがそよぎます。見上げますと、真っ白な刺繍のベールでした。




それからほぼ1年経過した今まで、書いては捨て、書いては捨ての繰り返しです。
youさん、無能なる私のノロマをお赦し下さい。





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今年のこの日25日は、昨年と違って、尼崎駅から事故現場に向かう道には、八重桜が満開でした。




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どの側溝も、落ちた花びらでいっぱい。
でもいつも群生して赤く咲いていたひなげし(虞美人草)の花は、何故か黄色の花が数輪のみ。




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今年も、事故現場の近くの畑では、さやえんどうの花が白く咲きましたよ。



youさん、新たな歌、待って下さいね。
この事故を風化させない程の歌、ご要望のメロデーで創り上げますから。