磐手の杜の春

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能因法師墳から西国街道を少し引き返すと「磐手杜(いわてもり)神社」。
666年藤原鎌足の勧請により創建。神社は、安満山の南西麓にあり、前に桧尾川が流れています。

建久6年(1195)、後鳥羽天皇がこの地を訪れた当時、社殿は壮大で美しかったようです。
尚、この森は「磐手の杜」と呼ばれ、和歌の歌枕として詠まれました。

この神社は、かつて、大きな社領を占有していていました。
でも、神社の好意で田畑等を村に移管しましたので、村人の神社への熱き心は今でも。


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舞台右手前にある石が、「夜啼き石」。

その昔、高槻城の老臣・長田という権勢を誇ったものが参詣の折、
この奇岩に目を付けて持って帰り、庭に置いたところ毎夜啼きました。

「あま(安満)へいのう~」「あま(安満)へいのう~」と。

それで長田の殿様は、これを元の所へ返しました。

これ以来、この石は「夜啼き石」と呼ばるのだそうです。

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舞台です。手前の紅梅は未だつぼみ。
社の木々で日当たりが悪いのでしょうね。


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舞台の中には、和歌が掲示されています。恐らく後鳥羽上皇の歌でしょうね。

「君にしも 秋を知らせぬ津の国の いわての杜と吾身ともかな」



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立て札には、枕詞「磐手の杜」を使った和歌がニ首、書かれていました。

源 頼綱 
「しばしとも 磐手の杜の紅葉は 色に出てこそ人をとめけれ」   (夫木和歌集)

彼のその他の和歌の一つ

「夏山の ならの葉そよぐ夕暮は ことしも秋の心ちこそすれ」   (後拾遺231)



もう一つの書かれている和歌

慈 円(じえん)
「思えども 磐手の杜のほとゝぎす 昔に似たり声になれては」   (拾玉集)


慈円のその他の和歌の一つ

「野べの露は 色もなくてやこぼれつる 袖より過ぐる荻のうは風」   (新古1338)


この和歌の詠み手の感覚は素晴らしいですね。

野辺の草の露は無色透明でこぼれたのでしょう。私の袖を吹く過ぎていった萩の上風に吹かれて。
実は、泣いていたのでしょうね。涙が赤い袖の上に落ち赤い涙となりました。恋しいあなたを慕って?


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舞台から今来た鳥居を見下ろします。
この舞台で、古人はどんな想いでどんな能を舞ったのでしょうか。

和歌に親しまないお方でも、その時の情景が、目に浮かぶのではないでしょうか。