天は私を京都に行かせる

私の履歴書・49〈大学受験―1〉

天は私を京都に行かせる

恋焦がれるあの人を幸せにするためには、W大の政経か英文科に入ることが条件となる。
そして一流企業に入社し、高額な安定した収入を得ることである。

W大に合格したら、結婚を前提にあの人と交際する。
私にはあの人との輝かしい未来が待ち受けているのだ。

不合格なら例へ他の東京の大学に合格したとしてもみじめだけ。
その時は、東京から遠い京都の大学に行く。

断崖絶壁に立った心境でした。


《見つからない試験会場》

高校三年の一月下旬、滑り止めに京都の私立大学を東京・芝工大で受験。田舎は大雪の年でした。
東京の宿泊は、大学卒業を控えた長兄の大塚のアパート。

この滑り止めは、すらすらと解答。三科目共、時間前に提出。
さあ~、次の試験が二月末と三月初め。一ヶ月の空白期間。

処が、この東京での滞在一ヶ月間により、我が青春、とんでもない結末でした。
一旦、田舎に帰って、再度、上京したら、全く違った結果だったでしょうに。

緊張の毎日。一ヶ月後の試験では、どうしても合格しなければならないのです。
あの人を、仕合せにするには、東京の一流大学合格が私の心に決めた条件。
間も無く不眠になりました。

眠れない! 煙草を吸いました。ハイライト。
それでも駄目でした。気分転換の為に、パチンコに行きました。

駄目でした。
眠れない夜が延々。

同居している長兄は、見るに見かねて、彼の友人のアパートに泊まりに行きました。
鏡を見ませんでした。見ると、私は別人。

いよいよ、試験当日です。
大塚駅から、チンチン電車で受験場に行きました。

事前に建物だけは確認していました。事前に教室確認は、許可されていませんでした。
30分前に試験場の教室に入りました。

試験5分前、妙な事に気が付きました。部屋番号は合っているのですが、その後ろに付いているアルファベットが違うのです。

教室が違っていたのです。早速、試験官に尋ねました。
処が、部屋番号の記入した試験会場図はおろか、試験会場図さえも無いのです。

私の会場を探しに、試験官と二人で校内をうろうろしたのです。
時間はどんどん過ぎていきます。試験官も私の試験会場の教室が分からないのです。

二人で探しました。胸は、ドッキン!ドッキン!
遂に見つけました。試験開始から20分は経過していました。

その会場とは、そこだけが50人だけの小さな角部屋。
それも、入り口扉は、始めての人では見えない位置でした。
廊下から正面ではなく、奥まった側面の壁に扉があったのです。

頭は、真っ白!!
最初は、数学の試験だったと思います。文系ですから、全問、簡単な問題でした。
ほぼ全問、解けませんでした。

立ち直れませんでした。次の英語・国語も字が読めませんでした。
絶望!



女の園でのありえない現象2-1》

その日から、夜も、昼も、一睡も出来ませんでした。
眠れぬ夜、天井を見続ける毎日。数日後、同じ大学の英文科の試験。
前回の轍(てつ)を踏むまいと一時間前に会場に着席。

当初、教室には、まばらにしても9割がた女性。
田舎では、見たことの無い素敵な色とりどりの服装。垢(あか)抜けしている!
別世界。

香水の香り。人がまばらのうちは良い香り。
試験開始直前には周囲全員が女性。香水の複雑な激しい香り。

この一ヶ月、まともに睡眠をとったことの無い私。
何の香りか分からない花の香りが、鼻を通り、脳に抜けて行く。

私を取り巻く空気が無色なのは分かっているのに、脳の中に見えるのはピンク色。

問題用紙が配布されました。
受験番号と名前を書きました。

開始の合図。
ぐっと硬い椅子から腰を前にせり出したとたん、信じられない事が起きました。

この日は、確か、1964年(昭和39年)3月1日と記憶しています。

                            この項 続く


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我が青春の記『初恋慕情』目次
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