春の二つの別離

私の履歴書・48〈中学時代-21〉

集団就職列車》
中学の卒業式が終ると、集団就職列車が走りました。夜汽車です。
このクラスからは、福井方面の繊維工場へ女子が三名、東京に一名。
皆、出発の日が違いました。

最初がケイの友達。羽後本荘駅の暗いホームの外れで見送りました。午後九時頃。
不思議なものですね。見送りの同級生は私達六人だけ。

これでは寂しすぎる。だから残る三人の女の子の見送りも我等六人がホームに立ちました。
同じでした。家族以外は、私達だけ。卒業してしまったら、皆、冷たいものですね。

ホームには、裸電球が黄色く地面を照らします。ポツンと。
ここからが、僅か15歳の女の子が両親のぬくもりから未知の世界へ飛び立つ地点です。

開けられた汽車の窓。溢れる涙をぬぐおうともせず。
「からださ、き~つけや!」「てがみこ、かくてば!」

非情にも夜汽車は動き出します。
力一杯、力一杯、手を振る少女。そしてその母。
彼女等にとって、今でも、このホームは忘れられない場所でしょうね。




《同級生の葬儀》
全員の見送りが終わってから間も無く、もう一つの事がありました。
三年の夏頃から入院していた同級生の鎌田君が亡くなったのです。
同級生の大半の人に葬式のお寺と日時を連絡しました。

処が、葬儀に参列した同級生は、我等六人とその友達の女の子二人。
卒業したら、皆さん、それぞれの道で忙しいのでしょうね。

お寺の本堂に座ると、和尚さんのお経が始まります。
それが、漢詩を読むように唱えるものですから、漢詩の授業の雰囲気。
誰かがクスクス笑い出したら、皆、クスクス。

それに、そのお経の長い事。
膝折で長時間座った事が無い者ばかりですので、足が痛くて、しびれて。
皆、身をよじるやら、そわそわするやらでしたね。

このように、涙無しに亡き級友をおくりました。



そして、これを最後とし、仲良し六人組は自然解散となりました。
卒業式の時、おくての女の子数人が「楽しかった!」と言った来た中学三年の一年間。
これで本当に終わりました。


イメージ 1
写真は、当時の羽後本荘駅

昭和36年秋の国体で


羽後本荘駅に降りられました。




《追記》
尚、春の修学旅行は、東京・日光でした。
夜の急行電車。四人掛。眠るはず、無いですね。

思い出せるのは、華厳の滝東照宮の眠り猫。寒くて、眼が覚めていたのでしょう。
それに、クラス全員が楽しかったと言っていた事。


卒業後の六人組の女の子三人は、地元の県立女子高・由利高校へ。
我等は、由利高校に隣接している県立本荘高校へ。ケイが、家庭の都合で就職。


                            次回は京都時代に飛びます