最も長く辛い50分

私の履歴書・47〈中学時代-20〉

《シロの黒パン2の2》

何が何だか分からないけど、どうやら私、不味い事をしたらしい。
そのピ~ンとした空気で、男の子達も騒ぐのを止めました。

立っていた私は、座らざるを得ませんでした。
シロ(シロ子さん)は、私からそれをむしりとり、赤いかばんにしまいました。
「こんなものは、私には、関係ない」と言いながら。


訳が分からない内に次の授業となりました。
隣の席の女の子が、手紙を私にくれましたので、それを読みました。

箇条書きで、僅か数行。全く知識が無かった私が良く理解できるものでした。
成る程、それで学校は、別々に保健の授業をし、女子に見本を配布したのか。

私「分かりました。スマン。」と書いて返事。
しょげましたね。あ~、これで、クラスの女性全員を敵にまわしてしまったと。

肝心の仲良し四人は、横や後ろを振り向いて私をチラチラ見る。
眼を合わせても冷たい視線。恐らく、私の顔は真っ青だったでしょうね。

このまま次の休憩時間になったら、身の置き場が無い。
どうしようかと思いましたね。



と、手紙が来ました。
このクラスのマドンナからです。ピチッと顔の整った知性あふれる女の子。


小さな紙切れに、一行だけ。
「私は、何とも思っていません」



藁(わら)にもすがりたい時に、丸太を流してくれた想いでしたね。
後、この授業中、別に十通弱程、同様な内容の手紙が女の子達から来ました。

あ~!このクラスに、沢山の女神様がいらっしゃる!とつくづく思いましたね。



休憩時間になったら、例のお友達の女の子四人がおずおずとやってきました。
そしてシロの頭をいつものようにノートでポカッ!

シロは、後ろを振り向いていつもの調子で「スマン!スマン!」と私の頭をノートでポカリ。
私の中学時代の最も長く辛い50分は、シロのポカリで終わりました。


                           次回は、中学卒業です


余談ですが
1959年4月10日皇太子明仁親王と正田美智子さんが結婚。
2年後に、それまで小学校時代から切り抜きを貼っていたスクラップブックを、この結婚の新聞記事に貼りかえてしまいました。残念です。


イメージ 1

当時の本荘浜海水浴場

昭和19年生まれは9クラス
昭和20年生まれは7クラス
昭和21年生まれは11クラス
昭和22年生まれは12?13?クラス

町中、子供があふれていた時代でしたね。