二度届いた通販荷物

私の履歴書・42〈中学時代ー15〉

《組み立てラジオ》1957年(昭和32年)秋

雑誌「模型とラジオ」で、トランジスターラジオ組み立てキットを買いました。
今で言うカタログ通信販売です。

初めて半田ごてを握り、初めて見る回路図を横に、二週間程もかかってようやく完成。
でも、ラジオは、ウンともスンとも言いません。

感度が悪いと思い、更にパーツを買い増し、高感度なラジオに組み立て直しました。
でも、同じ様に、シャーとも言いません。

鳴らないには当然でした。回路図に書かれている電池のプラス・マイナスの記号を逆に解釈していたのでした。
トランジスターは、+-を間違い通電すると一瞬でパァ~。それを知った時は呆然でした。


《Uコン模型飛行機》
ラジオは諦めて、Uコン(ユーコン・エンジンはフジ099cc付き模型飛行機)に乗り換えました。

中学一年の正月過ぎ、東京に帰る姉と長兄に頼んで、同名の雑誌を発行している東京の「模型とラジオ」に直接訪問してもらい、Uコン一式を注文。2,700円と記憶しています。

処が、一週間経っても届きません。手紙をその会社に出しました。
十日経っても届きませんから、再度、葉書を書きました。

「コツコツ貯めてようやく買える額になったものですetc.」と悲壮感を出した内容ですね。
何回も書き直ししました。これで文章がかなり上手になりましたね。

三週間経ちまして、遂に我慢が出来なくなり、東京の姉と兄に頼んで、再度、その会社に訪問してもらいました。それまで、四通程の葉書を出していました。

処が、姉が訪問したその日、隣の小母さんが、日通の荷物を預かっていると四角い木箱(一辺が70cm弱)を持って来ました。ようやく届いたのです。

更にそれから一週間後、もう一式、届いたのです。本来、これは返却しなければならないのですが、散々待たされた訳ですから、返せと言ってくるまで放置しておこうと思いました。

一週間経過。二週間経過。三週間経過で、もう大丈夫。自分の物としました。 I’m sorry






そして中学二年になるのですが、以前述べましたように、クラス替えは無く、担任も同じ。
中学二年の時の「先生の虎の巻」と「学級新聞」の事は、既に述べていますね。

強いて言えば、智子さん(仮称)との事でしょうか。
智子さんは、二年生になった春に、父親の転勤で転校していきました。

彼女とは、それから六年間程の文通が始まるのです。
そして、七年ぶりに東京・忠犬ハチ公前で会いました。この時の様子は、下記私のブログで述べています。

未だ、お読みになっていない方は、是非一度、読んで下さいませんか。


                             次から中学三年生です

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洋画「草原の輝き」

内容は忘れましたが、ラストシーンで
白い帽子をかむったナタリー・ウッド
素敵でしたね。

彼女の最も輝いて最も美しい一瞬でした。