いつの日かめぐり逢うかも

私の履歴書・41〈中学時代ー14〉
《真由子嬢に再度怒鳴りこまれるかも》
思い余って昨日の夕方、真由子嬢の実家でもある田舎の会社に電話をしたのです。
男性の事務の方が電話に出てきました。

真由子嬢の弟さんが現社長であることを確認し「真由子さんの安否だけでも」と尋ねました。

「去年の暮れに電話がかかってきて元気な様子でしたよ」
更に「東京に在住で、今は仕事で忙しいようです」

存命中なので、ほっとしましたし、嬉しかったですね。
他方、さてさて、困りました。

このブログの記事中では、真由子さんを殺してしまいましたからね。
もしも、この事を彼女が知ったら- - - - - - <゚_゚;>

50年前の中学1年の時と同様、我家に怒鳴り込んで来るかも。トホホ - - - (・_・、)
でも、私の連絡先を言っていなかったですから、お互いに無事を間接的に確認出来ただけですね。


処で、真由子さんが白いドレス姿で現れたのは何故なのででしょうか。
ウエディングドレスかな? ひょっとして再婚したのかも。

あの石造りの「弁天橋」は、彼女の今住んでいる近く?
一月だけ現れたと言う事は、ひょっとして初詣は弁天様なのでしょうか? 不思議です。




《母の化粧品》
中学1年に本荘に転居してから間も無く、母の知人が我が家にやって来ました。
ご主人と離婚後、化粧品の訪問販売をしているです。母は昔の知人のよしみでその化粧品を買いました。

手の平に乗るみかんぐらいの大きさのクリームが4千円。セットが2万円でしたね。
昭和32年(1957)の事ですから、今の価格では10倍以上でしょう。

私は興味本位に、毎朝、母に内緒で、このポー○化粧品のクリームを顔に塗っていたのです。
一般のクリームと違い、銀色に淡く光るタイプでしたね。それを多目ベタつく程度に塗りましたね。

母は、クリームが減るのが早いと首をかしげていました。だから、その営業のご婦人は度々我家に来ましたね。私は、大変良い隠れたお客だったのです。


母にばれたのは凡そ半年後。そのクリームのせいか、私の髭(ひげ)が生えるのが遅く、然も、チョボなのです。そして今も。兄二人と比較しても、その差は歴然なのです。腕もすねも(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)(・_・、)

クリームの中に、女性ホルモンが入っていたのでしょうかね。



イメージ 1
「めぐり逢い」AN AFFAIR TO REMEMBER(1957年)

ゲイリー・グラントとデボラ・カー
待ち合わせのエンパイアステートビル屋上に向かうそのビルの傍の路上で、デボラ・カーが車にはねられる。

それを伏せて彼から遠ざかる。

ラストシーン。
長椅子に座る動けないデボラ・カーの元に、彼は彼の母親の遺言で彼の母が編んだショールを届ける。

彼女に届けて去ろうとしたとき、彼は初めて彼女が歩けないことに気がつくんですね。
泣きましたね

今でもこのラストシーンを垣間見ただけで目が潤みます。

Andr?? Gagnon (アンドレギャニオン)
The mind and the body to which a beautiful tone is tired are healed.