女性に怒鳴り込まれた私

私の履歴書・34〈中学時代ー7〉


(前回のあらすじ 担任の武宮先生は私を宿直室でメッタ打ちにし、その足で真由子嬢の自宅へ)


それから数日後の事、教室で真由子嬢。

「冬樹さんのご両親にお会いしてお話したい事があります」
「ハァ?? それまたどうして?」

「とにかく、明日の午後二時に行かせてもらいます」
「でも、明日の土曜日は、親父は単身赴任でいないし、お袋も日中はいないよ」


それでも来ると言うのです。帰宅後、高校一年の次兄にこの旨を話したら、次兄は大笑いして、翌日は午後の部活を休んでこの時間まで帰宅してくれる事になりました。

さて、その翌日の土曜日、授業は午前で終り、寄り道をしないで帰宅しました。その後、次兄も帰宅。


午後二時をほんの少し回った時に、玄関がガラガラと開きました。
「こちら、冬樹さんの自宅でしょうか?」

いよいよ、お出ましになりました。
私が応対。

「ここを探すのに時間がかかり、ちょっと遅れてしまいました」
と、しげしげと玄関の中を見渡す彼女。当時の自宅は路地にありましたからね。


次兄がやって来ました。
「何でまた、こられたのですか」
「冬樹さんに、抗議のために来ました」


「中にお入り下さい」
「いえ、ここで結構です」


玄関でその抗議を聞きながら、次兄はニコニコ。

「私は、親にも誰にも一度も叩かれたことがないのですよ!」
途中、この力説には、次兄も私も、笑いましたね。
だって、四人兄弟の内、我等二人だけは、親父のゲンコツでしょっちゅうコブでしたからね。


恐らく、真由子嬢は、御両親と相談しての訪問だったのでしょう。
当時の私が思いましたのは、御両親は有力者ですから、その威光で、当然、私の両親は何が何でも在宅するものと。そして、謝罪するものと。


これ以降、真由子嬢はこれまでの傲慢さがどんどん消えていきました。普通の女の子らしくなりましたね。眼差しも優しくなりましたし、身振り素振りも柔らかくなりましたね。言葉も。不思議でしたね。



他方、それ以降、次兄は、事ある度に私を「女に怒鳴り込まれた男」として笑うのです。
50年後も、次兄はこの話を切り出し、この時の状況を細部にわたり話すものですから兄弟四人で大笑い。


                                  つづく
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この頃観た邦画「喜びも悲しみも幾年月」
フイルムが相当痛んでいて、画面に度々雨が降りました。
でも、感激しましたし、歌も直ぐに好きになりました。
http://www.youtube.com/watch?v=u7ZA2Sqb88M&feature=related




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洋画「旅情」は、「慕情」を観た直後でしたので、ちょっと期待はずれでした。