生徒会役員のイチゴ泥棒

私の履歴書・30〈中学時代ー3〉

《クラス選挙》
(昭和33年:1958)四月中旬、クラスの選挙が行われました。小学校時代からの私の手法。それは、選挙で投票用紙を渡される前に、「級長・副級長・クラス委員は誰々」とコソコソ言うのです。

これで、私の机の周りの人からコソコソが伝染し、その通り書く人が多いですから、開票結果は、その通りとなるのです。無論、私は、これで役が付きませんから、自由な身のままでおられるのです。

尚、この選挙で副級長となった真由子嬢には、二人の女の子が、子分として四六時中、くっついていました。この二人は、彼女の親の会社の従業員の子供でした。

その後、全校で生徒会選挙があり、一年生では、他のクラスのM君と真由子嬢、それと他に二名が当選しました。壇上で選挙演説をする真由子嬢は、落ち着き払い、然も凛々しく、あこがれの人でしたね。


《生徒会役員のイチゴ泥棒》
或る日の体育館での全校朝礼の時、生活指導をしている武宮先生(私の担任)が壇上で怒鳴るように言いました。「この学校に、イチゴ泥棒がいる!」

ひやり!としましたね。私の昔の事か?と、ついつい赤面。周囲が私を横目で見るから、益々赤面。これでは私が犯人と疑われる。困りました。私はこの地に来て、未だそんな事をしていませんでしたからね。

成る程、このいちご畑は、体育館の側面のドアを開けると、足元から一面見渡す限り。誘惑に駆られます。でも、場所が場所。夜中でもない限り、誰かの目が必ずあるというもの。この時は、犯人の逃げ足が速く捕まらなかったようです。

それから間も無く再度の全校朝礼で「いちご泥棒が、三人捕まりました!犯人の中の一人は、生徒会の役員です!」びっくり仰天! まさか?まさか? でしたね。

他方、赤面癖が付きました。ですから何かがあると直ぐに赤面。いつも疑われていましたね。
特に、担任は、教室で「誰であるかは、もう判っている!顔を赤くしている者だ!」と言うものですから。

困りましたね。何とかして、この癖を直さなきゃ!


(余談1)尚、この捕まった生徒会役員の彼(M君)は、卒業後、秋田高校に進学。私が最初の大学一年の時に、偶然、浪人をしていた彼と銀閣寺道交差点の近くのキングというパチンコ店で出会うのです。彼は浄土寺の坂の途中に下宿していました。この彼との話しは、いつか。


(余談2)
イメージ 1

1950年(昭和35年本荘市長に初当選した佐藤憲一氏に同年母から届け物をするように依頼され、佐藤憲一氏の自宅を訪問。当時の佐藤憲一氏の住居は小さな平屋の市営住宅であった。

写真は1949年の新築工事中の都営住宅(毎日新聞
佐藤憲一氏の住居もこんな感じでした。