三船美佳(故・三船敏郎)さんのルーツ

私の履歴書・26

直根村(ひたねむら:私の履歴書⑦~⑨)で書き忘れた余談を二つ。

一つ目『故・三船敏郎さんと、三船美佳さんのルーツ』

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一昨日もTVに出ていました三船美佳さんは、自分のルーツは秋田と言っていますね。
つまり、父親の故・三船敏郎さんの両親は、この鳥海山の麓・秋田県由利本荘市鳥海町小川(こがわ)出身と書かれています。

後、両親は中国に渡り写真館を開きます。
そして三船敏郎さんは、1920年青島(チンタオ:中国山東省)で生まれました。
銀幕(映画)に登場したのが1948年黒澤明監督の「酔いどれ天使の」主役の一人として。

この三船敏郎さんの映画が直根小学校の体育館で上映されたのが私が6歳頃の時。
(1951年?)当時、三船敏郎さんのルーツは笹子(じねご)と聞いています。

笹子村は直根村の北東隣。
恐らく、当時の住所は「笹子村字小川(こがわ)」だったのではないでしょうか。

参考1)1955年(昭和30年) 由利郡川内村・直根村・笹子村の3村が合併、鳥海村として誕生
参考2)郵便番号 鳥海町小川 015-0505、同町上川内 015-0504、同町下笹子015-0722
郵便番号から判断すると、小川は笹子村よりも川内村の集落の一つだった可能性もある。

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二つ目『笹子(じねご)仁左衛門

殊更、笹子にこだわるのは、この直根村での二年間に、地元村民が小学校の夜の体育館で演じる劇「笹子仁左衛門」を三度も観たからです。何しろ、季節ごと、出演村民が全く違うのですから。

江戸時代、重い年貢に耐えかねて、下笹子の仁左衛門ら若者達数人が、江戸にいるお殿様に直訴。
一旦、直訴は成功しますが、結局、地元の侍達に追われるのです。

山小屋に逃げ隠れていたとき、毒薬が入った酒を褒美欲しさの従兄弟に飲まされてしまうのです。
「よくぞ!毒薬を飲ませたな!!」と笹子仁左衛門

右手には大きな平べったい杯。そして、口元から、タラタラと真っ赤な血!
私達子供は、その劇を観てから当分は、この口から血を流すシーンを真似たものです。

圧政から開放してくれた笹子仁左衛門の逸話を、こうして代々まで伝えているのですね。

尚、笹子仁左衛門についての概略は、下記サイトです。
http://www.town.chokai.akita.jp/Rekisi/index11_11.html
他方、当時、わらび座も度々来て演じました。 http://www.warabi.jp/

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更に、小学校時代をはしょります。

〈桃山学園合唱隊〉

下川大内小学校4年の時と6年の時の二回、桃山学園合唱隊が来て、小学校の体育館で歌いました。
後に映画で観た「ウィーン少年合唱団」の日本版。
小4の時に、この合唱隊の中の一人である同じ年の子と仲良くなりました。

小6の時も、この子が来まして、二人で校舎の裏手の芋川の川原で遊びました。
その近くの瓜畑でも。その後は、推して知るべし!ですね。あまり熟れていなかったです。


〈庄屋の家の牢屋〉

村の、ある大きく立派な家の庭には、立ち入り禁止を言い渡されていました。
我等数人は、探検と称して、留守を狙ってこの庭に侵入したのです。

成る程、噂通り、大きな庭の中に、六畳程のお堂がポツンと建っています。
雨戸は開いており、そこは格子ではなく、10cm程の角材で組まれていたのです。

つまり、牢屋なのです。
そして、その中に男の人がいたのです。

色白の小太りで、30歳代後半でしょうか。
彼と何を話したかは記憶にありませんが、この時は普通の人でした。

尚、隣村でも、同じ様な牢屋のある家があると聞きました。
共通していたのは田舎の庄屋親族間の血族結婚でした。

いとこ同士や縁戚間同士の。
同族で資産を守る為にでしょう。

その結果ですね。
脳がまともに発達しないまま大人になるのは。


〈小学校対抗野球大会〉

毎年、三つの小学校の対抗野球大会がありました。(上川大内小学校・下川大内小学校・岩谷小学校)
私は、捕手で打順は5番。猛練習は六年になったとたんから始まりました。

いよいよ一週間後に試合という時に、私は、風邪で高熱を出し、寝込んだのです。
熱が下がったのが試合の前日。足元がふらふら。

試合ではライトの守備。浅いイージーフライを捕れませんでした。
打っては、セカンドのエラーで一度出塁したのみ。

一週間の寝込みで、ボールへの感覚が無くなったのです。
これは、今でも悔しい思い出です。

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つまらない事を書いてしまいましたが、次回は、英子さん達との送別会の記事で、小学校時代を終りにしたいと思います。 

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写真は、秋田の南端に近い小砂川海岸。
ここは、小学校6年の夏、各学校から集まっての臨海学校の場所。
宿泊し、枕投げをした清水屋旅館も改装していて健在でした。 2005.08.17  

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                                   続く