変色した虎の巻騒動

私の履歴書・25
〈先生の虎の巻〉
小学校六年生の時(1957年:昭和32年)の或る日の休日、下川大内小学校に隣接している中学校の体育館でバスケをして遊んだ時の事です。

イメージ 2
注)写真は昭和32年(1957年)当時の下川大内中学校校舎。
手前校舎の奥に見えるのが、中学校の体育館。当時の住所)大内村及位(のぞき)


皆、疲れて休憩。誰かが、この体育館の中二階に上って、皆を呼ぶのです。
上ってみますと、二十畳程の部屋の三分の一はゴミ捨て場となっており、先生達が使った古い本がランダムに積まれ、山のようになっていました。

そのゴミの中に、表紙が無く、それから数ページがはがれた先生用の虎の巻。紙の色は茶色に変色。
昭和26年頃の中学二年用国語の虎の巻でした。当時の紙は劣悪だったのですね。

翌年から中学でしたので、何となく、それを家に持って帰りました。
これが、後に、ちょっとした騒動となるのです。


〈虎の巻騒動〉
それから二年後の本荘中学二年の五月、国語の授業で先生の生徒への質問には、私、いつも真っ先に手を挙げて、悉く正解しましたね。

尚、私、小学校を卒業した春休みに、下川大内から本荘へ引越ししていました。バタバタの引越しでしたので、この汚い虎の巻も一緒に引越し。



中学二年のこの頃、家で偶々虎の巻を広げてみたら、生徒への質問と答えがあるのです。その日の国語時間での質問と、全く、同じです。

試しに、学校に持参し、国語の時間、膝に虎の巻を広げて、今か!今か!と先生の質問を待ちましたね。
案の定!!でした。尚、虎の巻に書かれていない内容の質問は皆無でした。

以後、教室に入ってくる都度、国語の先生(女性で当時40歳過ぎ)の目尻は釣り上がっていきましたね。
遂に、しびれを切らしたかのように、無言で、壇上からつかつかと私の席に来ました。

そして、私の膝の上の表紙の無い虎の巻をいきなり取り上げました。
クラスの誰かに聞いて、情報入手をしていたのでしょうね。

「これは何処から手に入れたの!」とキンキン欲求不満なる声。
答えようが無かったですね。まさか、下川大内中学の体育館から盗んだものなんて、言えませんからね。

何度も詰め寄って来ました。青筋を立てて!! 遂には、虎の巻で私の机を激しく叩いて!!
やむを得ない!ここはお袋に犠牲になってもらおう。

「母から貰いました」。実は、母は中学の虎の巻等、持っているはずは無いのですが。

先生は、私の虎の巻を取り上げ、職員室に帰って行きました。
昼の休憩時間、級友が職員室に入りますと、この件で先生方は大騒ぎしていたと事。

こりゃ、親が呼ばれるかも! と覚悟しましたね。
結局、虎の巻は没収されましたが、親の呼び出しはなく、ホッと一安心しました。



当時の中学の教師は、今と違って、楽でしたでしょうね。


〈掲載し忘れたスケッチ〉

イメージ 1

この絵は、私の生まれ故郷の上郷村長岡(現在 にかほ市私の履歴書①)のスケッチです。
鳥海山の西の中腹。ここから西方の田んぼの遙か向こうは青い空。(05年描く)