天才と凡才の違い
会話の延長線で、彼は「古賀政男は、ひょっとしたら韓国人か、もしくはルーツが韓国じゃないかな?」と言うのです。昔、彼(旧友)の叔母さんが韓国の人と結婚していた時、古賀メロデーを聴いて旦那さんが首をかしげたそうです。
その旦那さんは、古賀メロデーの演歌は、韓国のメロデーとそっくりで、それをパクッタのだ!と言っていたそうです。そこで、旦那さんは、韓国の古い歌(民謡?)を母国語で何十曲も唄い、それを、オープンテープ(昔のテープレコーダー)に録音。現在、そのテープは、彼の手元にあるそうです。
その騒動もあって、その後、著名な作詞家は、作詞を一般公募して、その中から、しずる(歌の心)を得る。例えば、一般公募した北国の冬の海の詞の場合、冬にその海に行く訳です。
そこで、公募した作詞の言葉を、彼なりの言葉に変えて自作としていたようです。この事は、当時、作詞家からお金を貰った公募の人がマスコミで話していた記憶がありましす。
つまり、天才と言える人達の中には、他人の心や眼に摩り替われる、感性豊かな人もいたのでしょうね。
そして、他人の真似を超越した新たな創造が「天才」と言われる所以なのでしょう。
そして、他人の真似を超越した新たな創造が「天才」と言われる所以なのでしょう。