母が教えた奇妙な遊び

私の履歴書
 昭和23年(1948)4月、私が三歳になる直前、上郷村長岡から下川大内村滝へ引っ越しました。



《母の卑猥な教え》

下川大内村滝に引っ越したその夏、母と我等子供四人は、元の上郷村長岡に遊びに行ったのです。

朝から暑い日でした。滝からバス停まで4kmの砂利道を歩いてバスに乗り羽後本荘駅で下車、更にシュッシュポッポの汽車に乗り象潟駅下車。そこから長岡までの6km程を歩くのです。(注)下記の地図での旧道。

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砂利道のだらだらの長い上り坂。
しかも何しろ炎天。
我等子供は、歩くのが嫌で嫌で道端にちょっと歩いてはへたり込みの繰り返しでした。


イメージ 1その時、母は、妙な遊びを教えてくれました。
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昔、母の近所に手癖の悪い女性がいたそうです。つまり、盗癖があるのです。
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ある日、腕時計が数個盗まれた時に、この女性が疑われましたが、しらを切るのです。
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警察が、その女性を歩かせました。処が、歩いたら時計が女性の股の間からポタッと落ちて、また歩くとポタッと落ちたそうです。
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母は、その時の模様を実演。股に小石を挟んで歩き、数歩進んでからその小石を落としました。
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私達兄弟は、母の真似をして自分の股間路傍の石を挟んで数歩進んだら、股を開き「ポタッ」。
再度、股間に石を挟み、数歩進んだら「ポタッ」と石を落としては又拾う繰り返しでした。
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これを繰り返しているうちに、目的地の佐々木さん宅に着いたのです。


母が存命中の十数年前、この時のことを母に聞いたことがありました。
「あの時は、よくぞ卑猥な事を教えたものだ!」

母は「アッハッハ!」と幾度か大笑いして「よくまあ覚えていたこと! あの日はあちくて(暑くて)、あちくて、子供達は歩くのを嫌がって、道端に座ってしまう。

どうしたら前に歩かせるかを考え、とっさに思いついたもの。効果絶大だった。
然し、あの時はあちかったなぁ~!(暑かったなぁ!)」としみじみ。



追記)2013.05.31 追記

母が、何故、石を股に挟んで歩かせたかが分かりました。
当時、めらしこ(女中)を使用していたら、こういうことは度々あったようです。

尚、昭和30年代まで、バスガール(女子車掌)の場合は、 料金着服防止のため、全裸にされ、大きく股を開いて両手で両足首を握り、尻を突き出し、性器と肛門を検査されたそうです。このことは大半の人が知っていたそうです。 


この検査を受けた体験談を赤裸々に告白していたのは、日本人ボンドガールの元バスガールの浜美枝さん。
他方、昭和25年(1950年)美空ひばり主演の映画『歌え!青春 はりきり娘』の中で、この尻検査の映像がソフトに流れたそうです。

                             
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参考)滝から上郷村長岡までは、直線距離では南西へ30km程ですが、道路の距離では60kmです


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