何故に、
水無瀬川は、「枕詞」となったのでしょうか。
写真は、連休後の、
桂川との合流地の
水無瀬川です。
向こうには、天王山。一見、普通の小川なのですが。
実は、この写真の様に、水が無いのが通常なのです。水が流れているのは、異状なのですよ。
この河口まで来る間に、川の水は全部、地面に吸い取られてしまうのです。
拠って、水の無い川瀬、即ち、
水無瀬川なのです。
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改めて、古の
歌人の歌で、「枕詞」となっている理由を知る事が出来ます。
「言急かは 中ゆ淀まし
水無瀬川 絶えてそ事を ありこすなゆめ」柿本人麿/
万葉集
「恋にもぞ 人は死する
水無瀬川 下ゆわれやす月に日に異に」読人不知/
万葉集・巻四・598
「あひ見ねば こひこそまされ みなせ河 なににふかめて おもひそめけむ」
読人不知/
古今集・巻十五・恋歌五・760
「みなせ川 ありてゆく水なくはこそ つひにわが身を絶えぬと思はめ」
読人不知/
古今集・巻十五・恋歌五・793
「ことに出でて 言はぬばかりそ
水無瀬川 下に通ひて 恋しきものを」
紀友則/
古今集・巻十二・恋歌二・607
「水無頼川 をちの通路 みつ満ちて 舟わたりする 五月雨のころ」
西行/
山家集
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写真は、初夏の雨で、急に水が流れて来ましたので、菜の花さんは、置いてきぼりですね。
久々の潤いに、初夏の日差しをいっぱいに浴びる
水無瀬川の水辺。
向こうの大きな流れが嵐山から流れる
桂川。そして中洲。
この合流地は、ツルリンドウの群生地。写真は、去年の秋。
ここを去る時に、我が家の、それまで、ゴミとして捨てていた
白文鳥の残り餌を
ここに蒔くのです。
ここは、来る都度、うぐいすさんが、関西弁で迎えてくれる繁みなのですよ。