万葉集からの歌枕『水無瀬の滝』

谷崎潤一郎の小説「蘆刈(あしかり)」の中で、『水無瀬の滝』は、南北朝時代に書かれた『増鏡』の文中の一部を引用している。

『水無瀬の滝』とは、『水無瀬川』と同様、和歌の『枕詞』として多くの歌人に詠まれました。




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水無瀬の滝は、あの、秀吉と光秀の天下分け目の天王山の山間にある。

写真は、恐らく、作者谷崎が、水無瀬川から見た天王山の風景。
この中央の山間に、水無瀬の滝はたたずむ。



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ここに行くには、名神高速道路をくぐらなければならない。




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滝の入り口が、名神の上り線。ヒュ~ン・ヒュ~ンとかしましい。

この名神は、静かなる水無瀬の滝の趣を壊したのみならず、
ここから1キロ下った待宵の小侍従の建てた『真如院』の跡地をも破壊している。





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この入り口の横が、名神上り線『天王山トンネル』の入り口である。
以前は、天下に名をはせた事故多発地帯。光秀の怨念が宿ると言われたものである。





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ここから真向かいの東方を望むと、遠く川向こうの男山(岩清水八幡宮)。
更にその背景に、京都東山から連なる青い山峰。




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眼を右に移すと、南東には、奈良の生駒山が青く霞む。
増鏡に書かれている『はるばると川をのぞめる眺望』とは、この様な風景だったでしょう。


恐らく、後鳥羽上皇も、水無瀬離宮から、このような移ろいゆく季節を眺めていたことでしょう。
「見わたせば やまもとかすむ みなせがわ ~~」と言う情景が偲ばれます。





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水無瀬の滝は、天王山断層に出来た高さ約20m、二段に落ちます。
この滝は、雨を司る神として「竜神」が祀られています。



この滝を詠んだ和歌を改めて

「水無瀬山 せきいれし滝の秋の月 おもひ出ずるも涙なりけり」


          藤原家隆が、 隠岐に流された後鳥羽上皇を偲んでのものですね。