京都・哲学の道の桜並木
私流に言えば『非哲学的哲学の道』の桜並木の散策である。
(写真は、ベニバタミツバナ)
何故に桜を植えたかと言うと、余りにも、この疏水の小道が寂し過ぎる故だそうである。
では、一体、西田幾太郎氏が哲学的散策した時とは、この道には、桜の木が植えられ、小さいながらも桜並木で桜の花が咲いていたのであろうか。
それとも、桜の木を植える前の、寂しい小道であったのであろうか。
もしも、西田幾太郎氏が、当時小さいながらも桜の満開を見ていたとするならば、彼の哲学的思惟は、疏水に散ったこの桜の花びらにその根源があるのかもしれない。