三洋電機・倉庫炎上の思い出

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三洋電機・創業者一族の井植敏雅社長(44)が明日四月一日付で辞任する。

今期500億円と見込まれる最終赤字や、二月下旬に発覚した過去の決算の不適切な会計処理の責任との由。
経営経験のない野中ともよさんが、いきなり会長になられた時から、変?と思っていましたからね。

昨今の私は、三洋とは全く無縁の世界にいますが、こんなニュースを耳にしますと、
昔を思い出しますね。

今回は、三洋の昔の思い出話しを一つ。

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三洋電機の守口本社と大津市琵琶湖岸の滋賀洗濯機工場を度々訪問したのが、四十年前。
それから十年後、取引関係で、三洋のある事業部の太田課長(仮称)・平社員八須君(仮称)と度々会議。

私、最初は、ほんの冗談のつもりで言う。
「三洋さん、そろそろ、定例の倉庫火事が起きるころですね」

当時、私は三洋の倉庫火事は、ボヤも含めて何となくローテーションを感じていたのである。処が、冗談が本当になった。その年の秋、三洋倉庫が全焼したのである。


それから数年経って、広島勤務時代、同じ事業部の昇進した太田部長・八須主任達との雑談での事。私「ローテーションから言えば、今年から来春にかけて倉庫が焼けるはずですよ。前回、ピタリ!だったでしょう」


ここで、彼等は、初めて過去の倉庫火災の記憶をたどりだした。
三人共に、1~2回の火災の記憶を持つが、記憶の火災の年と場所が別々。

それを全部時系列に並べて書いたら、「ホントだ!そんなバカな!」
そして、半年後、またまた倉庫火災。滞貨在庫一掃!!


更にそれから七年程経った頃、会社の三洋との取引は年間百億単位。
かっての八須主任が事業部長になっていた。


パーテー会場で私「おかしいですよ。もう、時期が来ているのじゃないですか」
八須事業部長「あれは、偶々そうなっただけですよ。もう火災は起きませんよ」


確か、それから二ヵ月後程だったと思う。
全国紙に炎上している写真付き記事・見出し『三洋電機主倉庫炎上!』


またまたやった!のだ。
この時の火災の倉庫は、枚方近辺だったと思う。


何日か後、彼と会った時の事。
私「メイン倉庫が丸焼けで、こちらに回す在庫は大丈夫か?」

彼「丈夫です。ご心配なく。ご迷惑はおかけしません。
あの倉庫は、デッド・ストック(長期滞貨在庫)ですから」


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これ以降、私の記憶では、三洋倉庫火災は起きていない。

尚、この三洋倉庫火災に関してご興味のある方は、新聞のバックナンバーを検索(1975年~1990年)したら、この三度の火災は検出出来るはずである。

思い出というものは、内容はともあれ、懐かしいものですね。
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