真白き観音様の私に下された使命とは

2005年春の子の刻、就寝して直ぐに目を凝らしましたら、白い観音様が現れたのですが。
今、初めて気付いたことがあります。何故、今まで、気が付かなかったのでしょうか。

2005年春と言えば、四月JR福知山線脱線事故で107名の方が亡くなった時なのです。
偶然でしょうか。(今年の四月二十五日が三回忌)

そして同年六月の四十九日に現れた映像を基に、詩「私のさよなら」が書かれ→同年七月 曲「私のさよなら」が創られました。(この詩は、このブログの左欄に書庫としてあります)

真白き観音様の私に下されました使命とは、やはり、このJR事故で亡くなった方々の霊を、天の国に導くことなのでしょうか。慰霊することなのでしょうか。


実は、同年(2005)お盆で帰郷した時に、亡くなられた人が、小鳥となって私に会いに来られました。
その時、私は、実は恐ろしく、会うのを止めました。後悔ばかりで御座います。


下記の文は、最初が、真白き観音様が現れてから間も無くの事です。恐らく観音様でしょう。
次が、同年(2005)、お盆で帰郷した時の出来事の記録です。


       ☆       ☆       ☆



(2005年)五月十三日未明、午前様で帰宅後、HP序文に最後の三行(真白き観音様~)を加筆し、午前二時半に就寝。

横になってから間もなく、私の枕元の畳で、「絹ずれの音」がするではありませんか。
暗闇の中、妻の手が畳をこすったのかと思うも、妻の手や布団が届く距離ではない。

微かな光を頼りに、目を凝らして、音のした場所を見るが、何も無い。

 その時、妻は眠ったまま、突然、両手で掛け布団をバア~ンと跳ね上げたのです。
と言う事は、私の枕元で絹ずれの音がした時、妻の両手は布団の中だったのです。


       ☆       ☆       ☆


詩「私のさよなら」 その後のこと (3)送り火

   《この詩は、左欄の書庫・詩「私のさよなら」にあります》
      http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/folder/1465800.html



05年8月12日京都発 寝台日本海3号乗車。
翌朝、13日、目覚めると外は雨。


田舎の駅で下車。雨は上がっている。

空家の田舎の家に入る。お盆灯篭を組み立て点灯。



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14日夕、昨年のお盆にこの田舎の庭に埋葬したインコ「チビ(知美)」にお供えと、ろうそく。

その夜、子の刻の事。寝るべしで消灯。なかなか寝付かれない。



と、音がする。



鳥の鳴き声だ。



床の間の右隅で「ホロ~~、ホロ~~」と七回鳴く。電子音に近い鳴き声だ。



この鳴き声は、亡きインコのチビではない。かと言って、白文鳥のピピではない。



どこの鳥の声なのだ。無論、この何年も空き家の床の間に鳥などはいない。



「ひょっとして!詩『私のさよなら』?それとも??」



「分かった!分かった!でも、今日は眠い。寝るぞ!」と言って眠る。


https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/r/regretlife/20010101/20010101004120.jpg


翌15日の夜。その夜も子の刻。布団に入って消灯。



突然、電話の呼び鈴。



音の場所は、昨夜と同じ床の間の右隅。ここには、電話機は無い。携帯電話は枕元。



それらの音ではない。これも初めて聞く電子音だ。十回程鳴る。



「あの世に、早めに帰りなさい。」と、床の間に向かって言い就寝。

詩「私のさよなら」の最後の節では、「小鳥になり抱かれる」。

前夜は、小鳥になって来たのだ。



 そして、この夜は、電話をかけてきたのだ。呼び鈴を鳴らしたのだ。

お盆前に、女性ご遺族の皆様の自宅に、「電話を下さい」旨の手紙を、JR西日本経由で

届けてもらった。私に、詩「私のさよなら」を書かせたあの人は、それを読んだのだ。



16日、送り火の日となる。お盆も今日でお終い。

お盆、一時的にこの世に帰郷していた魂は、かぐや姫のように、今夜、あの世に帰る。



17日、子の刻、送り火として、庭で線香花火を灯す。心は、幼少に戻る。



煙がもうもうと立ち込める。庭は、霞となる。



数本燃やし、「さあ!お盆もこれで終わり!もう、お帰り」と霞の彼方に向かって言い家に入る。



時計は、17日午前一時半を回っている。



暫くの間、布団に横になる。



蛍光灯を消そうとした時、部屋の東北角の向こうから音がする。高い位置からだ。天井だ。



「ポタッ」  「ポタッ」   「ポタッ」



滴だ!だが、雨は13日昼から四日間降っていない。



最初、隣の部屋での微かな音がだんだん大きく、だんだん近づいて来る。



「ポタッ」    「ポタッ」    「ポタッ」





 遂に、この部屋の東北角の天井まで来る。そこで音はピタリと止む。



一瞬の静寂。

「ミシッ!」  「ミシッ!」  「ミシッ!」  「ミシッ!」



 天井を誰かが歩いて近づいて来る。滴の音が止んだ所から。



その足音は、私の目の上の天井まで来る。遂に、その姿を現すかも。





 私は、見上げて、天井に向かって言った。


「私は、あなたのお顔を見ない方が良いかも知れない。

それに、今日は送り火。遅くなったら、あなたは、あの世に帰れなくなるかも知れない。

早くお帰り」



 そして私は、詩「私のさよなら」を朗読した。

更に、私は、、詩「私のさよなら」の自作の曲をパソコンで奏でた。

それに合わせて歌う。何度も、何度も。



 涙は、拭かなかった。




 ふと、時計を見ると午前四時半を回っていた。

もう、夜が明ける。





 気配は、いつの間にか消えていた。

無事にあの世に帰ったのだろうか。

せっかく、この田舎まで来た人に会わずに帰したことが良かったのだろうか。





 微かな疲労。そして、虚脱感。



夜が明けてきた。



私は、床に横になり、いつの間にか眠っていた。


       ☆       ☆       ☆



(追記)

その年(2005)の11月14日、ここ水無瀬にてお姿が現れました。

但し、白い布で、ほをかむりしていましたから、お顔を見ることが出来ませんでした。


年が明けての2006年一周忌の四月二十五日の前日の未明、ここ水無瀬に、再び
その方は、いらっしゃいました。