真白き観音様の私に下された使命とは
2005年春の子の刻、就寝して直ぐに目を凝らしましたら、白い観音様が現れたのですが。
今、初めて気付いたことがあります。何故、今まで、気が付かなかったのでしょうか。
今、初めて気付いたことがあります。何故、今まで、気が付かなかったのでしょうか。
そして同年六月の四十九日に現れた映像を基に、詩「私のさよなら」が書かれ→同年七月 曲「私のさよなら」が創られました。(この詩は、このブログの左欄に書庫としてあります)
真白き観音様の私に下されました使命とは、やはり、このJR事故で亡くなった方々の霊を、天の国に導くことなのでしょうか。慰霊することなのでしょうか。
実は、同年(2005)お盆で帰郷した時に、亡くなられた人が、小鳥となって私に会いに来られました。
その時、私は、実は恐ろしく、会うのを止めました。後悔ばかりで御座います。
その時、私は、実は恐ろしく、会うのを止めました。後悔ばかりで御座います。
下記の文は、最初が、真白き観音様が現れてから間も無くの事です。恐らく観音様でしょう。
次が、同年(2005)、お盆で帰郷した時の出来事の記録です。
次が、同年(2005)、お盆で帰郷した時の出来事の記録です。
☆ ☆ ☆
(2005年)五月十三日未明、午前様で帰宅後、HP序文に最後の三行(真白き観音様~)を加筆し、午前二時半に就寝。
横になってから間もなく、私の枕元の畳で、「絹ずれの音」がするではありませんか。
暗闇の中、妻の手が畳をこすったのかと思うも、妻の手や布団が届く距離ではない。
微かな光を頼りに、目を凝らして、音のした場所を見るが、何も無い。
その時、妻は眠ったまま、突然、両手で掛け布団をバア~ンと跳ね上げたのです。
と言う事は、私の枕元で絹ずれの音がした時、妻の両手は布団の中だったのです。
横になってから間もなく、私の枕元の畳で、「絹ずれの音」がするではありませんか。
微かな光を頼りに、目を凝らして、音のした場所を見るが、何も無い。
と言う事は、私の枕元で絹ずれの音がした時、妻の両手は布団の中だったのです。
☆ ☆ ☆
詩「私のさよなら」 その後のこと (3)送り火 |
《この詩は、左欄の書庫・詩「私のさよなら」にあります》
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/folder/1465800.html
その夜、子の刻の事。寝るべしで消灯。なかなか寝付かれない。
と、音がする。
鳥の鳴き声だ。
床の間の右隅で「ホロ~~、ホロ~~」と七回鳴く。電子音に近い鳴き声だ。
この鳴き声は、亡きインコのチビではない。かと言って、白文鳥のピピではない。
どこの鳥の声なのだ。無論、この何年も空き家の床の間に鳥などはいない。
「ひょっとして!詩『私のさよなら』?それとも??」
「分かった!分かった!でも、今日は眠い。寝るぞ!」と言って眠る。
「あの世に、早めに帰りなさい。」と、床の間に向かって言い就寝。
早くお帰り」
それに合わせて歌う。何度も、何度も。
せっかく、この田舎まで来た人に会わずに帰したことが良かったのだろうか。
☆ ☆ ☆
(追記)
その年(2005)の11月14日、ここ水無瀬にてお姿が現れました。
但し、白い布で、ほをかむりしていましたから、お顔を見ることが出来ませんでした。
年が明けての2006年一周忌の四月二十五日の前日の未明、ここ水無瀬に、再び
その方は、いらっしゃいました。
その方は、いらっしゃいました。