駿河大納言の霊魂との遭遇

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私の履歴書・401 高崎のホテルでの怪奇な一夜・駿河大納言の亡霊
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60866042.html

私の履歴書・402 この世に未練を持つ故人はこの世をさ迷う
http://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/60868415.html

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 神とは、この世に何等かの想いを抱く存在。神の黙示を受信すると言う事は、
霊魂をも受信すると言う事。
以前、菅原道真公の霊魂の事を別の書庫で述べましたが、今回は、駿河大納言の霊魂との遭遇です。


(参考)忠長とは、徳川家三代目将軍徳川家光の弟。
兄・家光よりも才覚があり、家光の存在を脅かす。 

跡目三代目将軍を巡って家光を春日の局がバックアップした結果、家光が三代目将軍となり、弟・忠長は駿河城主から、一転、高崎で幽門され、切腹した事。

 彼忠長はこの世に未練を残し家光の命により自刃したものと思われる。
自刃場所は、静岡県藤枝の「市ノ瀬説」もあると言うが、群馬県の「高崎」である。
忠長が、私に高崎での自刃の様子をテレパシーで再現してくれたのだ。

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 話しは、1992年(H4)6月12日(金)の事、高崎支店に出張。当時の支店長は●尾君。
彼が予約してくれたホテルが高崎駅前のサンコー第二ホテル。

その日、高崎駅に新幹線最終でpm11時台に着いた時には、駅舎の外の街灯は消え、薄暗い駅前は、肌色の異なるイラン人達のコミニケーションの広場と化していた。

 そこを通り過ぎて、目前のホテルに入る。エレベーターは真っ暗。六階(多分)の部屋に入る。
構造は、どうやらマンションを転用したもの。2LDK。入浴後いざ就寝。

 一寸待てよ。駅広場のイラン人が気になり駅側の上げ下げ式窓の施錠確認。
尚、窓の外にはベランダは無い。真下を見ると地面までは10mは優に有る。

 ベットはリビングを含め各部屋にもあるのだが、敢えてリビングのベットに寝るが明るい。
そうか非常灯か。タオルケットで非常灯を覆うも未だ薄明るい。寝つきが悪い。

 そこで枕に顔を埋め、うつ伏せ。(この首から上を枕に乗せた頭の在り方が亡霊を呼んでしまうのだが)目を閉じたままで、まぶたにちらつく無数の微かな光点えを追う。
眠れない時の、羊が何匹を数える代わりに、光点を数える私のいつもの癖だ。

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突然!である。『うつ伏せなのに、何故真後ろが見えるのだ!』見えるのである。
後ろに見えるは、雛壇の男と女だ。左のお殿様は巻纓冠、右の奥方の髪は、お雛様の

日本髪に似て、両者共、白装束で座っている。うす暗く顔は見えない。傍に鎧の武者。

私は夢を見ているのか?いや、そうじゃない。私は覚醒しているのだ。
ほれ、この通り、眼も開けられる。だが、何か恐ろしいことになりそうで。動けない。

    一瞬そこで気を失う。

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気が付くと御座が目前。然も御座が斜め??御座の編目が見える。御座には血が付いている。ひょっとして私は打ち首。その首が斜めに切られ御座の上に落ちたが、傾いて立ったのだ!!
どんどん気が遠くなる。血液が脳に回らない。血が抜けていく。

どんどん更に気が遠くなる。あ~、女房に、子供に、母に、何か言い残したことが有る。言わなきゃ。でも思考回路が働かない。どんどん働かなくなる。気が遠くなる。

それから何時間経ったのだろう。うつ伏せのまま覚醒。だが依然人の気配。薄暗いが依然後ろが見える。甲冑武者が私のベットのすぐ横に立っている。

何者?起きたら殺される。私の死を確認しているのか。そのまま!そのまま!そのままで幾時間が経過。動けない、動いたら殺される。そのまま、そのまま。またまた気を失う。

そして再度目覚める。真横に依然人の気配。動いたら駄目だ!このまま!じっと!

そして暫らく。どの位時間が経過しただろうか。朝が近くなったらしい。
突如、甲冑武者がカッカッカッカッと足音を立てて私目のベットの傍から離れ、甲冑の擦れる音を立てながら去って行く。そして駅側の施錠したはずの6階のガラス窓をガガーと開けて出て行った。私は目は伏せたまま動けず。またまた気を失う。

朝、●尾君がホテルまで迎えに来た。私は、恐る恐る昨夜から今朝までの話をしたのだが、●尾君は驚きもせず「あのホテルは以前から幽霊が出るとのうわさがあるんだ。やっぱりか。今回は他のホテルが満室で、あそこしか空いていなかったんだ」と軽く言う。

その後、▲光君がこのホテルに宿泊した時は、突然、浴槽が血の海になったと言う。
私は、それ以降、高崎に行った際は、駅近くの大信寺にある彼の墓参りをしている。
尚、大信寺の住職には、京都の土産物羊羹「京観世」を持参し、上記の件を報告している。

駿河大納言忠長よ!安らかに眠れ!

(追記)その後、忠長は現れて来ていない。私への無念の伝達に満足したのか、
其れとも失望したのであろうか。あるいは、あのホテルにだけ、現れるのだろうか。
ホテルの土地が切腹の場所かも。

藤枝市高崎市に、上記文章を、作成した03年11月に送信したが、両市から、何等回答がない。特に藤枝市では、忠長の自刃場所としての毎年催す供養祭を否定するものだから当然かもしれない。

尚、歴史上、忠長が、訳もなく側近を切り殺した事になっているが、私の見解としては、家光側が、忠長の将軍として如何に不適切であったかを裏付けるものとして、後日、ねつ造した逸話と思われる。これが無念の基かも。

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