早春に輝く一枚の紅い葉

今回は、古典に登場する水無瀬の歌です



早春の一月下旬、水ぬるむ「水無瀬の滝」の途中にかかるひとひらの枯葉を見る。
その姿は、隠岐に流された後鳥羽上皇の身を暗示するかのようだった。






「 水無瀬山 せきいれし滝の 秋の月 おもひ出ずるも 涙なりけり 」

    
             家隆が、隠岐に流された後鳥羽上皇を偲んだ歌です。
 
                 藤原 家隆  (『新古今和歌集』の撰者の一人)

   


        ☆       ☆       ☆


水無瀬の滝は、水無瀬川と共に、古来より歌に詠まれる景勝地でした。
平安朝の頃は、狩猟、春の桜、秋の紅葉と大宮人が優雅に遊び興じた処です。





尚、「水無瀬川」は、古来歌枕として知られ、万葉集以来、数多く詠歌があります。


「言急かは 中ゆ淀まし 水無瀬川 絶えてそ事を ありこすなゆめ」柿本人麿/万葉集


「恋にもぞ 人は死する水無瀬川 下ゆわれやす月に日に異に」読人不知/万葉集・巻四・598


「あひ見ねば こひこそまされ みなせ河 なににふかめて おもひそめけむ」
                     読人不知/古今集・巻十五・恋歌五・760


「みなせ川 ありてゆく水なくはこそ つひにわが身を絶えぬと思はめ」
                     読人不知/古今集・巻十五・恋歌五・793


「ことに出でて 言はぬばかりそ 水無瀬川 下に通ひて 恋しきものを」
                     紀友則/古今集・巻十二・恋歌二・607


「水無頼川 をちの通路 みつ満ちて 舟わたりする 五月雨のころ」西行/山家集


「見わたせは 山本霞む 水無瀬川 夕は秋と 何おもひけん」後鳥羽院/増鏡


「川はみな瀬川」清少納言/枕草子

                参考:「史跡をたずねて」島本町教育委員会