諭吉の脱亜(脱中韓)論の正しさ


下記は2012年に福沢諭吉の脱亜論の一部を抜粋したものだが、それより2年以前の2010年ごろに記事にした時は、「そんな古いものは価値がない、時代は変わっている」と何名かに小ばかにされたものである。

然し、今は公知ではある各民族に潜む特徴あるDNAは、100年そこらで、2世代3世代そこらで変わるはずはない。

昨今の中韓がそれを証明している。

『諭吉の言葉を改めて噛み締めよ』 2012/12/5(水) 

福沢諭吉の脱亜論の一部抜粋
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既に明治18年、中国・朝鮮とは断絶せよと言っている諭吉の提言を改めて噛み締めるべきである。
 
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『我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。』
 
『その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず……教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し』

この二国は似ていて、根は儒教主義・仁義礼智と称するも全て外見のみ。事実は、真理原則の知見が無いのみか、道徳さえも無く、思いやりなく潔く恥を知ることもない。これは全く反省の無い者と同じである。


まともな国の体をなしていない無法律の国と疑われ、科学を知らない支那と朝鮮をまともに相手にしていたら、西洋から我が国も同類と看做される。

『左れば今日の謀を為すに我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。』
 
拠って、これら悪しき二国との付き合いは拒絶する。

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※脳幹に潜む韓国の約束反故感覚 2018/1/19(金)
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