孫と:トロッコ列車&弥勒菩薩


孫の二日目の4月2日(火)は、嵐山の嵯峨野トロッコ列車乗車。ネット予約の時は、亀岡に向かって右側座席でしたが、緑の窓口で切符購入の時、左側座席に変えてもらいました。

前日4月1日(月) 孫と太陽の塔を上る

2008/9/23(火) 画像はJR保津峡駅から見下ろす保津川峡谷と保津川下り遊覧船。 
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京都駅からJR嵯峨野線乗車。平日なのに埼京線もどき寿司詰め状態。半数は次の駅・新設の梅小路京都西駅で下車したものゝ、立ち人がいっぱい。可愛い高校生程のお嬢さんが私に席を空けてくれましたが、「ありがとう。もうすぐ嵯峨嵐山駅で降りるから」と言って断りました。

満員の京都の地下鉄や市バスに乗った場合、二度に一度はこのように若々しいお嬢様方がご老体なる私目をいたわってくれるのでございます。時には、アラブ系や東南アジアの女性からも。(^^)/

JR嵯峨嵐山駅の階段を下りたら直ぐに始発のトロッコ嵯峨駅

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トロッコ列車トロッコ嵯峨駅からトロッコ嵐山駅へ。そこを走り出して間もなく川向こうの嵐峡館(現在、旅館「星のや 京都」)の位置で1991年開業以来必ず一時停止し。トロッコ車内で嵐峡館の宣伝の放送を大音響でしていたものですが、今は一時停止はするものゝ、宣伝放送は無くなりました。
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2006/05/06 画像では嵐峡館(現在、旅館「星のや 京都」)の客室から川向こうのトロッコ電車をみやる。
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トロッコ保津峡駅信楽焼たぬきたちが見送る。
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2008/9/23(火)  画像は川の反対側から見たトロッコ保津峡駅
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幾つかのトンネルを越えるとトロッコ亀岡駅。流石、亀岡。嵐山では青空がのぞいていましたが、ここでは雨。それに寒い寒い。

老いの坂峠の山々で嵐山方面に流れる雲の行く手が遮られるからこうなのです。50年前、京都市内に住んでいた頃は、亀岡はしょっちゅう霧で湿気が多く肺病が多いと言われていたものですが、今は宅地化が進んだ故か霧はそんなに出ないようです。

トロッコ亀岡駅1階案内所でタクシーを呼んでもらい、JR馬堀駅へ。そこからJR乗車。当初はJR嵯峨嵐山で下車し、タクシーで嵐山に戻り、嵐山公園の中の亀山公園の桜の堪能と、公園の展望台から保津峡を見下ろす光景を孫に見せるつもりが、寒いのなんの。

拠って当初の予定を変更し、JR嵯峨嵐山駅を素通りしました。
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次の駅・JR太秦駅下車。
広隆寺へ徒歩です。

国宝第一の京都太秦(うずまさ)広隆寺(こうりゅうじ)の勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう、又は、みろくぼさつはんかしいぞう)を孫たちに拝観させました。

広隆寺真言宗。 建立:603年(飛鳥時代)。ヘブライ系渡来人の氏族である秦氏(はたうじ)の氏寺であり、平安京遷都以前から存在していました、

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下記画像左は正教会東方正教会)で描かれたイエス・キリスト像で、画像右が広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像です。

元来、弥勒菩薩像の吐息が聞こえる程のほんの目と鼻の先で拝観できたのですが、実は.1960年8月18日京大生が弥勒菩薩の薬指をもいで盗もうとしてから数年後、ガラス張りに。後、ガラスは無くなりましたがガードが設けられたのみならず弥勒菩薩と拝観者の距離は大きく離れました。

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どちらの像も右手親指と薬指で三角形を作っています。これが、『三位一体(さんみいったい、父子霊)』を表現したものです。
この三つが「一体(唯一の神)」であるとする教えです。

1.父(=父なる神・父神)
2.子(=神の子・子なるキリスト)
3.霊(=聖霊聖神

カトリック教会・聖公会プロテスタント正教会東方諸教会といった大半の教派が、この教えを共有しています。上述の諸教会において、三位一体は、「三神」(三つの神々)ではなく「一体」とします。

弥勒菩薩の「弥勒」とは、サンスクリットで「マイトレーヤ」といいます。マイトレーヤとは、ミトラから転用された神名です。

ミトラは本来「契約」の意味ですが、のちには転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」をも意味するようになりました。

マイトレーヤはその派生形容詞、名詞で「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味となります。慈悲も友情もイエスキリストの属性です。

「菩薩」とは、まだ仏のさとりを得ておらず、仏のさとりに向かって努力している人を言います。

釈迦の予言では、釈迦の教えは廃れ、この世は終わりを迎えます。釈迦の死から2500年後に、兜率天(とそつてん、梵)で修行している「弥勒菩薩」が下生(げしょう)し地上の人々を救います。それゆえ弥勒菩薩は未来仏とよばれます。

釈迦の生没年は諸説あり、死亡年は紀元前550年~紀元前490年とされています。つまり、現在は「末法の世」の終わりの直前で、約2010~2050年ごろに弥勒菩薩が降臨することになります。

未来に降臨する弥勒菩薩とは、世の終末に地上に再び降臨するイエス・キリストのことです。観音菩薩イエス・キリスト弥勒菩薩は再臨するイエス・キリストです。

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広隆寺の山門前でパチリ。ここの信号を渡ったところの嵐電太秦(うづまさ)広隆寺駅から乗車し、四条大宮終点で下車。ここから阪急電車に乗車し、帰りました。



私見
弥勒菩薩の右手指は三角形を示す。これは三位一体(神)の表現。弥勒菩薩像の右手指に光を当てると影絵として、キツネが浮かび上がる。

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伏見稲荷大社の神様の使いであるお狐様が「白狐(びゃっこ)」。白狐は、稲荷大神の眷属(けんぞく、従者)として崇(あが)められ、古来、稲荷大神の神使(しんし)としても崇められている。

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即ち、三位一体(神)を表す三角の指の影絵がキツネの形故に、神の使いと言われる源となったのではなかろうか。故にそれを民衆に理解させるために以下の逸話が作られたのではなかろうか。

伏見稲荷大社の社家であった秦氏(はたうじ)を出自とする荷田氏。姓は荷田、名は竜頭太。

荷田竜頭太(りゅうとうた)は稲荷山の麓に家を構えて住んでおり、昼は田を耕し、夜は山に入って薪を求める仕事をしていた。その顔は龍のようだった。頭の上に光放つものがあり夜でも昼のように明るかった。

空海はその顔を面に写し神体として祀り、それからは収穫が絶えることがなくなった。この面は東寺の竃戸(かまど)殿に祀ってある。(注)龍頭とキツネの頭の外形は酷似している。

『稲荷流記』他(ウィキペディア
時は平安初期の弘仁年間(810年~824年)のこと、平安京の北郊、船岡山の麓に、全身に銀の針を並べ立てたような年老いた白狐の夫婦が棲んだ。

夫婦は心根が善良で、常々世のため人のために尽くしたいと願っていたが、狐という畜生の身であっては、願いを果たすべくもない。

そこで、夫婦は意を決し、五匹の子狐を伴って稲荷山に参拝し祈った。  「今日より当社の御眷属(ごけんぞく、従者)となりて神威をかり、この願いを果たさん」 すると、たちまち神壇が鳴動し、稲荷神の厳かな託宣がくだった。 

「そなたたちの願いを聞き許す。されば、今より長く当社の仕者(ししゃ)となりて、参詣(さんけい)の人、信仰の輩を扶け憐むべし」 明神からは男狐はオススキ、女狐はアコマチという名を授けられたという。



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