『日本の心●世界の声』目次(2)
3月6日(水)今朝6:26 目覚めの時、再度書きかけの記事が現れる。然し。そもそも書きかけの記事は無い。書きかけと言うと、この目次(1)の次しか考えられない。そして昼寝の目覚めの時も同様に書きかけの記事が現れる。
神は、早急にこの書庫の目次(2)を書けよとの仰せか。
『日本の心●世界の声』目次(1)
『日本の心●世界の声』目次(2)
『心の故郷・小学校唱歌』 2013/9/4(水)
唱歌教育によって豊かな情操を養った国民が、元気な国家を作った。
『故郷(ふるさと)』の歌
近代日本人の情操を育てた名曲。
(参考)
『(続)心の故郷・小学校唱歌』 2013/9/4(水)
近代国家においては、国民は同一の国語を使って、自由な意思疎通ができなければならない。全国津々浦々の小学校で、品格のある歌詞と美しいメロディーの唱歌を歌うことは、国語の確立のために、大きな役割を果たしたであろう。
『千年の歴史で培われた日本人の心』 2013/10/12(土)
外国人が日本に来て、驚くことの一つが、日本人一人ひとりが持つ他者への気遣いである。他者への気遣いは日本人の国民性であるが、その国民性を作ってきた本がある。『実語教』という。
と言っても、知らない人がほとんどだろう。平安時代の終わりに書かれたと言われ、鎌倉時代に世の中に広まって、江戸時代には寺子屋の教科書とされた。明治の大ベストセラー、福沢諭吉の『学問のすゝめ』は、この『実語教』を下敷きとしており、教育勅語でも同様の内容が説かれている。
『外国語とは?』 2013/12/11(水)
自分の意見も主張もない学生は、いくら流暢な英語を使えても、存在感のある発言はできない。
逆に、これだけは主張したい、という内容を持っていれば、必死で語学を勉強し、また十分な発表準備をして、実力以上の発言ができよう。
『日本のルーツ(ユーチューブ)』 2014/2/24(月)
ユーチューブ記事は下記に引っ越ししました。
『ピラミッドと日本のルーツ』 2019/2/28(木)
『日本人の血と遺伝子とは』 2014/3/16(日)
忘れもしない3月16日の夜。
被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で彼は9歳だという男の子と出会った。寒い夜だった。なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで、食料分配の列の一番最後に並んでいた。
彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けた。そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した。
遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたものは、受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だった。
唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言った。「ほかの多くの人が僕よりもっとおなかがすいているだろうから・・・」
9歳の男の子、
しかも両親をはじめ家族が行方不明で心細いだろう一人の少年が、 困難に耐え他人のために想いやれる。
少年の時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり、必ずや強く再生するに違いない。
『日本人の脳幹に潜むもの』 2014/3/17(月)
■東北大学留学の中国人学生が迫真の仙台脱出談=「日本人の優しさに感動」―中国紙 recordchina. 配信日時:2011年3月23日 11時48分
■中国人留学生が見た東日本大震災、被災地の人々の姿に感動―中国メディア 配信日時:2011年3月21日 0時40分
■食料配給は日本人も中国人も平等、中国人研修生が震災時に知った日本人の暖かさ―中国紙 配信日時:2011年3月20日 19時55分
■<中国人が見た日本>日本人の態度は称賛に値する、震災でもマナー変わらず 配信日時:2011年3月19日 14時35分
■<中国人が見た日本>未曽有の震災で浮き彫りとなった日本と中国の国民性の違い 配信日時:2011年3月20日 13時16分
『日本人の分かち合う心』 2014/3/18(火)
1945年秋、彼は初めて東京の土を踏んだ。彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年だった。少年が両親を失い、妹と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。
彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。
彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。
「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとした!」
修身教科書十五課 友愛
『兄姉は弟妹を愛し、弟妹が兄姉を敬うのは人情の自然で、かくすることが、即ち友愛の道である。』
『ことに父母亡き後の兄姉は、親に代わって弟妹を扶養せねばならぬから、弟妹はまた真心よりこれを感謝して、助け合い慰め合うべきである。』
『日本の精神文化の基調に茶道がある』 2014/11/3(月)
日本の食事のあいさつには、2つの素晴らしい言葉がある。
1つは「いただきます」
「頂きます」とは、「私の命のために動植物の命を頂きます」の意味から。「多くの生き物を犠牲にして生きている」こと、偉大な自然への感謝の気持ちを表したもの。
もう1つは「ごちそうさま」
「ご馳走様」は「馳走になりました」のことで、「馳」、「走」ともに「はしる」の意味。
昔は客人を迎えるのに走り回って獲物をとってきてもてなしたが、そんな命がけの働きに客人が「有難う」と心からの感謝の気持ちを表したもの。
『武士道の精神』が日本全体に浸透される前に『茶道』が秀吉の時代に構築され、その精神と作法が徳川300年の平和と繁栄を支え、日本独自の文化を開花させた一つとも言えるし、『茶道』は『武士道』との相関関係にあるとも言える。
茶道を考える際に重要なことは、それが江戸時代のすぐ前の戦国時代に完成されたという点にある。
茶道は一碗の茶のもてなしという最も基本的な主客の関係を基本として、「人と人との和」「人と器物との和」「人と自然との和」を極め、戦国時代を乗り越えて平和で美しい日常生活を送るために考案されたものと思われる。
「人と自然との和」とは、茶室に至る簡素で清潔な庭を愛で、花器に設えられた四季折々の野の花の命を鑑賞し、心の糧とすることで自然の美を日常生活に取り入れることを意味す。
戦後は、西洋文化が席巻するなかで茶道は女性のたしなみのような位置に後退している感があるが、それでも日本のメーカーが作る製品には実に細やかな利用者のための心づかいが見られ、また日本のサービス業は、旅館からデパート、新幹線や駅の小さな売店に至るまで器物と人を大事にした「おもてなしの心」に満ち溢れている。
今一度、茶道に込められた「人と人」、「人と器物」、「人と自然」との和を重んじる精神とそれを日常の中で感得するための素晴らしい方途を学び直す必要がある。
『武士道と大和魂を知る序』 2014/11/9 )
戦後、GHQの『武士道』『大和魂』イコール『軍国主義』とする捏造解釈で、GHQが創設した日教組が率先して児童・生徒を洗脳した。故に『武士道』『大和魂』に嫌悪感を抱くのが戦後の教育を受けた我ら日本国民。
武士道を理解するには、『武』・『士』・『道』と文字を分けたら分かり易いかも。簡略に言えば、武士道とは『道徳』、或は、『いかに生きるべきか』ということでしょうか。
徳川300年弱の平和な時代に、戦わない武士の学んだことは、戦いで人を殺すことではない。
そして剣道や書道・茶道は精神の育成ということ。代表的な言葉としては、柔道は『礼に始まり、礼に終わる』。
『武士道』を体系的なものとし、英文の書でそれを表し、そして世界に『武士道』を紹介したのが新渡戸稲造(にとべ いなぞう)氏。
彼が著した「武士道」を手にした当時のルーズベルト大統領は多忙にも拘わらず徹夜で読破し、感銘し、新たに30冊を購入し、近隣者に配ったと言われている。
『台湾統治時代の日本の精神とは』 2014/11/8(土)
(ユーチューブ)
● 【重要証言】「日本の兵隊さんは本当に素晴らしかった」【ザ・ファクト】
● 【重要証言】「台湾の基礎は日本人が作った」【ザ・ファクト】
● 日本と台湾は一心同体:Japanese and Taiwanese like each other
● 台湾で愛された日本人、八田 與一
● 米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」より
● 親日国 日本の台湾統治の真実 『もう一度日本時代に戻りたいです』
● 新台湾と日本
● 1-13 忘れ去れた台湾史 日本時代編
つづく