『日本の心●世界の声』目次(1)


先日の2月27日(水)午前5時、目覚めの時に画像が現れた。
ようく見ると私の書きかけのブログ記事。
題は『日本人の心』
そんな記事を書いている記憶がないが?
そして目をつむったまま覚醒。
処が画像は依然と見える。
記事の後半部分は濃い黒文字。
でも字がぼやけていて読めない。
記事前半に目を移行すると、前半部分の文字は薄すぎてこれも読めない。
目を開いたら画像も消える。

私の守護神は、どうやら私に私のブログ書庫『日本の心・世界の声』を記事にせよとの仰せのようだ。そういうことで、以下にこの書庫の目次と若干の要約を附記し掲載する。



『日本の心●世界の声』
 
その1 『宣教師たちが称えた日本人の美徳』 
天正7年(1579)に来日した東インド管区巡察師アレシャンドロ・ヴァリニャーノは、司祭オルガンティーノ・ソルドの日本人観に強い影響を受けた。ヴァリニャーノは『東洋巡察記』に、オルガンティーノの言葉を書き記している。
 
 「日本人は全世界で最も賢明な国民に属しており、彼らは喜んで理性に従うので、我ら一同よりはるかに優っている。我らの主デウスが人類に何を伝えたもうたかを見たいと思う者は日本へ来さえすればよい。……彼らは不必要なことを外面の表情に表すことはなく、甚だ忍耐強く、大度ある国民で、悔悛は真摯にして信心深く、儀礼に大いに気をつかい、交際においては丁重である」 

その2 『日本の「魂」を伝えた小泉八雲』 
『怪談』等の名作で有名。
当時、彼はアメリカの友人に宛てた手紙に、こう書いている。
「私は強く日本にひかれています。(略)この国で最も好きなのは、その国民、その素朴な人々です。天国みたいです。世界中を見ても、これ以上に魅力的で、素朴で、純粋な民族を見つけることはできないでしょう。
 
日本について書かれた本の中に、こういう魅力を描いたものは1冊もありません。私は、日本人の神々、習慣、着物、鳥が鳴くような歌い方、彼らの住まい、迷信、弱さのすべてを愛しています。(略)
 
私は自分の利益を考えず、できるなら、世界で最も愛すべきこの国民のためにここにいたい。ここに根を降ろしたいと思っています」

ハーンは、日本人の「民族の底に潜んでいる『民族の魂』」を深く感じ取っていた。それは古代から近代まで日本人の心底に保たれているものであり、明治日本の活力の源となっているものでもあった。

その3 『リシャールの名詩『日本国に告ぐ』 2012/9/20(木) 
◆ポール・リシャールは、フランスの詩人、弁護士、キリスト教の牧師。大正5年(1916)来日、約4年間日本に滞在。下記は彼の詩。

「曙の児等(こら)よ、海原の児等よ」
 
花と焔との国、力と美との国の児等よ
聴け、涯(はて)しなき海の諸々の波が
日出づる諸子の島々を讃(ほめ)ふる栄誉の歌を
諸子の国に七つの栄誉あり
故にまた七つの大業あり
 
さらば聴け、其の七つの栄誉と七つの使命とを
独り自由を失はざりし亜細亜(アジア)の唯一の民よ
貴国こそ亜細亜に自由を与ふべきものなれ
曾(かっ)て他国に隷属せざりし世界の唯一の民よ
 
一切の世界の隷属の民のために起つは貴国の任なり
曾て滅びざりし唯一の民よ
一切の人類幸福の敵を亡ぼすは貴国の使命なり
(以後省略)

その4 『20世紀の知の巨人達が神道に感動』 
◆アーノルド・トインビーは、世界の文明史を書き表した20世紀最大の歴史家
 「日本はアジアで最初に近代文明を受け入れ、欧米に対等に対抗できたのだから、アジア諸国はその声に耳を傾けるだろう。そして、そこに人類が一つの家族となるための、日本の先駆けとしての役割がある」

トインビーは、日本の文化の根源には神道があることを見出した。
”Here in this holy place I feel the underlying unity of all religions.”
 『この聖地で私は、すべての宗教の根底にある一体性を感じる』 

アンドレ・マルローは、フランスの作家
マルローは「伊勢とアインシュタインの相対論的宇宙観とは収斂(しゅうれん、同質化)する」と述べた。彼は、神道によって、科学と宗教、東洋と西洋が融合する可能性を直観した。その後、彼は神道を礼賛し、日本の使命への確信を著書に著した。

 アルバート・アインシュタインは、20世紀最高の天才科学者。
「世界の未来は進むだけ進み、その間、いく度か争いは繰り返され、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類は真実の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならぬ。
 
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた、最も古くまた尊い家系でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに還る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 
我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を造っておいてくれた事を」

その5 『神道イストを自称したJ・メーソン』 
著書『神ながらの道』(たま出版)に、彼はこう書いている。
 
 「日本が有する永久的進歩の力は、日本民族の創造的精神に基づく。…人類と自然とを、全能の神によることなく、自ら物質的進歩を創造する神霊だと考える一つの原始的直観である。日本を知るには神道を理解する必要がある」

「日本人は神道を分析していないというだけのことである。創造的原動力、詳言すれば、日本人に対する神霊的・心意的エネルギーの刺激としての神道の力は、言説的解釈の欠如に関係なく、常に存在しているのである」

メーソンは、昭和16年(1941)にアメリカで没した。亡くなるとき、彼は「遺骨は日本に葬れ」と遺言した。日米の戦争中にも拘わらず彼の遺志は尊重され、遺骨は東京の多摩霊園に葬られた。

『日本美の原点を発見したB・タウト』  2012/10/16(火) 
タウトは、ドイツを代表する世界的な建築家。
昭和8年(1933)5月4日、タウトは、京都郊外にある桂離宮を訪れた。桂離宮を見たタウトは、「実に涙ぐましいまでに美しい」と驚きと感動を語つた。そして、古代アテネのアクアポリスにたとえた。

その20日後には、栃木県の日光東照宮を訪れた。ここではタウトはさほど感銘を受けず。タウトは、二つの建物を比較して、次のように書いている。

「日光の大がかりな社寺の如きものなら世界にも沢山ある……それが桂離宮となるとまるで違ってくる。それは世界にも類例なきものである」

彼は、桂離宮の独創的な美しさの奥にあるものにたどり着いた。それは伊勢神宮だった。
 
桂離宮は、施工のみならずその精神から見ても、最も日本的な建築であり、従ってまた伊勢神宮の伝統を相承するものである。この国の最も高貴な国民的な聖所である伊勢神宮の形は、まだシナの影響を蒙らなかった悠遠の時代に由来する。
 
構造、材料および構成は、この上なく簡素明澄である。一切は清純であり、それ故にまた限りなく美しい」

高崎市少林山の石碑には、「われ日本文化を愛す」というタフトの言葉が残されている。

『今の日本の『和』や『絆』ではサンドバックにされる』 (F) 2012/11/12(月)
日本人の宗教は絶対神をもたない。 
明文化された「聖典」もない。

そのため他宗教と違い善悪を人間同士で決めなければならなくなってしまった。 話し合い絶対主義である。 

その結果他宗教と異なり「天罰」や「神罰」のかわりに「祟り」(たたり)という概念で 社会を維持をしようと考えた。 

「和をもって尊しとなす」の言葉通り、和を乱し空気を読まない存在は無意識に 「穢れ」とみなされる。
 
その結果「世間」という概念を作り上げた。 
それゆえ日本人は理屈を言う人間は好まない。
 
「正しいか正しくないか」より、「和」を乱していないことが最重要項目に なってしまった。 日本だけに通用する「話し合い絶対主義」である。

●「言霊(コトダマ)の国」解体新書
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言霊(コトダマ)の国に「言論の自由」はない。
「自分の国は自分で守る」という「世界の常識」を口にすると、「平和の敵」とレッテルを貼られてしまう。
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「平和」を唱えていれば努力をしなくても「平和」が続くと信じられているこの国では、「有事に備えようとする者」は「戦争を望む者」とみなされるのだ。

『右脳の未発達なまゝの日本人』  2013/8/26(月)
日本の若者を対象にしたあるアンケート調査では次のような結果が出ている。

社会の為に少々自分を犠牲にしてもよい・・・5.5%
外国に侵略された時、国を守る・・・・・・・10%
    
大半の若者は、社会のために自分を少しでも犠牲にすることを拒否し、そして、外国に侵略されたら逃げると答えている。

これは若者だけではなく、今の50歳代以降の戦後教育を受けた国民に共通の傾向。

戦後教育では権利を要求する事に急で、それを守ってくれる温室の維持・発展に貢献する、という主体性や責任感を育成する姿勢に欠けていた。先代から受け継いだこの温室の中での、豊かで安全な生活を当然とする「甘えん坊」を育てていたと言える。

『自虐的国家観からの脱却』  2013/9/3(火)
1.世界に最も良い影響を与えている国-日本
 2006(平成18)年に英国のBBC放送が、世界33カ国、約4万人を対象に世論調査を行った結果、「世界に良い影響を与えている国」としてトップに挙げられたのが日本だった。

 この調査は、その後、毎年実施され、日本はその後3年連続で「良い影響を与えている国」第1位を維持し、2009(平成21)年こそ4位に落ちたが、翌年は2位に返り咲くなど、世界のトップレベルを維持している。

この調査で興味深いのは、日本人自身の自国に対する評価が極めて低いことだ。

2010(平成22)年の調査結果では、日本人の日本に対する肯定的評価は43%だが、諸外国の日本に対する肯定的評価は、インドネシア、フィリピンの70%以上、米国65%、ロシア58%、タイ66%、英国57%などと比べると段違いに低い。韓国でさえ、この年は64%も日本を肯定的に評価をしている。

世界各国での日本に対する高い評価と、自国への際だった自虐的評価のギャップこそ、わが国の教育や報道の大きな偏向ぶりを表している。

4.世界一の美食都市・東京
 そんなパリジャンたちに、改めて日本食のレベルの高さを知らしめて驚かせる事件があった。

世界各都市のレストランの格付けを行っているミシュランが、初めて東京版『ミシュランガイド東京 2008』を出した時に、星付きの店の数が東京では150軒もあり、同年版のパリの74軒の2倍以上に上ったからだ。

 ミシュランガイドは毎年改訂されるが、東京とパリの差は年々広がり、10年版では、最高レベルの3つ星が東京11軒対パリ10軒、2つ星では42軒対14軒、一つ星では144軒対53軒。合計で197軒対77軒と、2.5倍以上にまでなっている。

 ミシュランガイドは専門家の匿名評価による公平性や妥当性によって、世界中の美食家たちにとって、最も信頼される指標となっている。毎年100万部も販売され、フランスでは星一つあがる毎に売上が30パーセントづつ上がるとも言われている。

 世界で最も権威あるレストランの格付け機関が、東京をパリ以上の美食都市として評価したわけで、こと料理に関しては誇り高いフランス人が、強い衝撃を受けたのも当然だろう。

『(続)自虐的国家観からの脱却』  2013/9/3(火) 
6.「専門性」と「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」

 ナレ氏の「専門性」、および「数世代、数百年かけて伝えられる技術と伝統」という言葉に注目したい。

ナレ氏が驚いたように、フレンチやイタリアンでは、得意な料理、名物料理はあっても、たとえばシーフード・スパゲッティだけで一流店になるということはありえない。

 それに比べれば、日本料理は寿司から鍋物、揚げ物、焼き物など、いろいろなジャンルがあり、鍋物一つとっても、さらに寄せ鍋、ちゃんこ鍋、うどんすき、すっぽん鍋等々に分化して、それぞれ一流の専門店があったりする。

 たとえば、京都の「大市」(だいいち)という店は、元禄年間から三百年以上にわたってすっぽん料理を作り続けてきた。鍋も何百年も使い込んでいるので、湯を沸かすだけでスッポンスープができるほどだと言う。

7.「いただきます」という神事

 問題は、なぜ日本人はこのように専門性と歴史伝統へのこだわりを持っているのか、ということである。

その秘密を史家の竹田恒泰氏は著書『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』の中で、「いただきます」という言葉から解明している。

 氏は「『いただきます』とは『あなたの命を頂きます』という意味であり、食材そのものに対する感謝の気持ちを表す言葉である」と述べている。[1,p47]

 考えてみれば、食べ物は、肉にしろ、魚にしろ、野菜や穀物にしろ、すべてもとは生き物である。その生き物の命を頂いて、我々は日々生かされている。

その事への感謝が「いただきます」に込められている。食事そのものが、日本人にとっては生命をいただく神聖なる儀式、「神事」なのである。

8.「調理」という神事に携わる使命感

 料理人は、食材の命をいただいて、それを食べ物にするという神事を行っている。

自分は、そのような尊い神事を任されているという使命感が、たとえ無意識の中にでも潜んでなければ、何代にもわたって愚直においしいスッポン料理を追求するなどということはできない。

 日本食がおいしく、かつ健康的だという特長は、多くの料理人が先祖から子孫へ、先輩から後輩に伝えられる伝統の中で、神事に携わる使命感を感じとって、愚直な努力を何世代も続けている所から来ている。
                           つづく