ロシアにみる日本の未来
安倍首相が総裁選討論会で記者から予想外の追及受けて狼狽! 嘘と逆ギレ連発、口にしてはならない言葉も 2018.09.14
(ユーチューブ)自民総裁選 日本記者クラブ主催討論会 1時間50分03秒
(注目)44分以降から記者の安倍首相への追及質問が始まります。
安保戦争法案が成立しないと安倍マリオはどうなる? 2015/9/17(木)
戦後、自民党清和会所属の首相は、歴代、国際金融資本の政策シンクタンク戦略国際問題研究所CSISの操り人形ですから、CSISの指示に従わないと、首相並びに自民党総裁の座を直ぐに降ろされますね。或いは、経世会の故・田中角栄を始めとする首相連中はCSISに従わないから殺されてきましたから、同じ運命をたどるかも。
(参考)
フランクヴァンデリップ(中央後部)1928年、パロスベルデス半島(日本人開拓の農業半島)の彼の最初の不動産であるザコテージで日本の高官・岸信介と会う。
ロスチャイルドとロックフェラーの過去、そして現在
中東・南シナ海:世界の紛争はシナリオ通り 2016/3/1(火)
Lenin and Trotsky were financed wholly by Rothschild and Rockefeller interests. The United States built the Soviet Union to a very substantial degree.
『共産レーニンは米国の援助に感謝した』 2016/3/3(木)
毛沢東と日本軍との関係 2016/2/24(水)
再確認『毛沢東に武器援助したのは米国』 2016/2/27(土)
中東・南シナ海:世界の紛争はシナリオ通り 2016/3/1(火)
さて、本題
歴史は繰り返す。
ロシアの革命前のロシア帝政時代、ロシアは米国に次ぐ世界第二の石油資源国であった。この石油を独占するために、ロシアに革命を起こさせ、ソビエト連邦を創建し、拠ってロシアの石油を独占したのがロックフェラーであった。
翻って、日本の領海の海底には膨大な石油が埋蔵している。彼らの狙いは、無論、日本を戦争に巻き込み、日本の自衛隊に武器などをバカ高い値段で販売し暴利をむさぼるのは当然であるが、目的は、この日本の領海の海底資源の奪取にある。
下記は国際金融資本のロシアと中国での実践例である。姿形は違えど、基本戦略は変わりなく、対日本戦略での彼らの次の一手が想定出来よう。
◆ロックフェラーと共産主義者の奇妙な関係
ロックフェラー一族がアメリカで最も注目に値する人々であるという表現は、我々にとって控え目な表現である。いかなる小説家もこのような家族を描くことは出来ないであろうし、どんなハリウッド映画の大立物もかれらの主演する映画を作ることは出来ない。
ロックフェラー一族は、実際我々が想像する以上に巨大であり、彼らの行動はまさしく「小説よりも奇なり」と表現するに相応しい。
これまで多くの伝記作家が、彼らの信じられない程の富と、政治・経済に及ぼす絶大な影響力について書いてきた。しかし奇妙なことに、ロックフェラー家の最も注目すべき側面---即ち、一族の最大の敵ともいうべき共産主義との何世代にも渡る親密な関係---については殆ど記される事がなかった。
この両者の世にも不思議な関係は、我々にごく一部しか知らされていない。しかし、既に公開されている情報の内容を分析するだけでもそれは驚くべきものだ。
物事はいつも見かけ通りとは限らない。この言葉は陳腐な決まり文句であるが、それにしても、世界中の共産主義者の真の黒幕というべき後継者の正体ほど、不可解で信じられないミステリーが今までにあったろうか。
我々が扱う問題を理解するには若干の背景の説明が必要である。それは、20世紀の歴史に大きな転機を画したロシアのボルシェビキ革命の真相を知るところから始まる。
レーニンは当時スイスにおり、1905年以来ずっと亡命生活をしていた。又、トロツキーもアメリカに亡命して、ロックフェラーのお膝元、ニューヨークで記者生活をしていた。二人は共にロックフェラーと繋がりの深いマックス・ワールブルク(ドイツ)及びパウル・ワールブルグ(アメリカ)等の資金援助を受けて、ロシア革命の準備を進めていた。
こうしてボルシェビキ革命の準備が整うと、トロツキーは、カナダ経由でアメリカからロシアに帰ることになった。一方、レーニンは、かの有名な封印列車でチューリッヒを発つとドイツ経由でペトログラードに送り込まれた。
そして二人は力を合わせ、贈賄、陰謀。テロといったあらゆる手段を用い、殺し屋を雇ったり密約を結んだ挙句、ようやく11月までにペトログラードの支配権を握ったのである。
というわけで、ボルシェビキが権力の座についたのは、決して「虐げられたロシアの民衆」が二人を呼び戻した為ではなく、ロックフェラーを始めとするアメリカと欧州の大富豪達が、彼ら二人をロシアに送り込んだからである。
我々は、以下において今世紀最大の秘密とも云うべき問題の核心に迫る。だが、そのに革命以降の知られざる歴史事実を幾つか振り返ってみよう。
◆彼らはソビエトの建設を支援してきた
当時、世論はボルシェビキの野蛮な性格に強い反感を示していた。その為アメリカ政府は、公式的にこの非合法政府と取引する事は出来なかった。アメリカがロシアのボルシェビキ政権を承認する為には、1932年のルーズベルト大統領の誕生を待たねばならなかった。
そこでボルシェビキの救援に大急ぎで向かったのが、バンダーリップ、ハリマン。
(ハリマンと日本の関係は、日露戦争後、ハリマンが桂太郎首相や元老・井上馨などに面会し、ポーツマス条約によって日本が経営する事になった南満州鉄道に資金を提供し、日米シンジケイトを作りたいと申し入れたのである。
最初、ハリマンの提案を日本側は了承し、予備協定の覚書も交わされた。だが、これに徹底的に反対する小村寿太郎である。其の理由は「日本の将兵の血によって手に入れた満州をアメリカに売り飛ばすような事は出来ない」として反対した。
ハリマン問題は、共産主義問題でもある。そして、孝明天皇陛下の毒殺にも関わらず問題である。ロシア革命に資金援助したハリマン財閥は、キリスト教徒がどれくらい死んだのかと云う事も考慮しなければならない。そこまで深い戦略を立てて実行していなかった事が、大東亜戦争の戦略無き戦いに繋がったのである。
あの当時、孝明天皇陛下の死について真剣に調べれば良かったと思います。そうすれば、世界がもっと深く理解出来たかも知れません。この辺りの問題を調べれば、何かが出るのではないでしょうか!忍)
ロックフェラー家であり、中でもフランク・バンダーリップはソ連に一番乗りした。彼はロックフェラーの代理人で、ロックフェラー・ファースト・ナショナル・シティ銀行の頭取を務めていた。フランクは、レーニンをジョージ・ワシントンのように偉大な建国者であると讃えた人物である。
彼らがロシアの石油事業に進出し、その事業の一部を確保したのは、革命後数年経ってからだった。1926年、ニューヨークのスタンダード石油とその子会社バキューム石油は、ヨーロッパ市場にソ連の石油を輸出する取り決めを結んだ。
当時の報道によれば、この取引の一部は、ロックフェラーからソ連共産党に貸し付けられた7500万ドルの資金で穴埋めされた。27年、ソ連共産党の秘密の相棒、ニューヨークのスタンダード石油は、ロシアに石油精製施設を建てた。この施設はソビエト経済を回復させるのに測り知れない貢献した。
ロックフェラーのスタンダード石油が行くところ、何処でもロックフェラーのチェース・ナショナル銀行が必ず後に従った。
22年、チェース・ナショナル銀行は、利潤を追求する資本家の大敵とされたいたボルチェビキを助けるため、米ソ商工会議所を設立した。この会議所の会頭は、チェース・ナショナル銀行の副頭取、リーブ・スクリィだった。
25年、チェース銀行とプロム銀行間の交渉は単なる原材料買付け融資の枠を越え、ソビエトのアメリカ向け原材料輸出とアメリカの綿及び機械のソビエト向け輸出に関する貿易決済の完全で精密な合意に達した。チェース・ナショナル銀行とエキタブル・トラスト・カンパニーは、ソビエトの信用取引を拡大する指揮をとった。
ソビエト政府は、我が国の連邦準備制度理事会及び連邦準備銀行の決定により、ロックフ ェラーのチェース銀行、モルガン・ギャランティ・トラスト他、ニューヨーク市内の幾つか の銀行からアメリカの国家資金を手に入れている。
(ソース)