半地下から脱出するも新たな辛苦が
私の履歴書50代東京編
1997年6月
本社総務部の松山部長から電話が来た。
西巣鴨の独身寮で、単身赴任していたメンテナンス子会社の社長が退職し、関西に帰るので、その跡に入居して欲しいというもの。半地下でカビまみれの穴蔵生活が1年半で終わった。
さて、西巣鴨の独身寮は、都営地下鉄三田線西巣鴨駅から徒歩7分。鉄筋コンクリート6階建て。と言っても、日照権の問題で屋上の6階は西側横列に二部屋のみ。私はこの一つに入居した。1LDK。リビングが12畳、絨毯部屋が8畳。
ここの東側のベランダは40畳はあるだろう。ここからは新宿の高層ビル群を遥か遠くに見渡せる。西の白山通り側のベランダは横2間、奥行半間でここに洗濯機置場と物干し竿がある。
この竿に掛けていた針金のハンガーが一つ一つ減っていく。
ある朝、早めに起きて洗濯機を回し、いざ干そうとするとカラスがやってきた。これがハンガーの盗人。そこで、ハンガーの頭のはてな(?)型になっているところを竿に付けたまま思い切り曲げて抜けないようにした。
処が、次の洗濯機を回した朝、カラスがこの狭いベランダの手すりに止まり、グァグァ唸りながら怒っている。知らん顔をして洗濯物を干していると、ジワジワ近づいて来る。
「こら、あっちへ行け」と手で追い払うがピクリともしない。距離は1m弱。更に近づく。出刃包丁のような大きな嘴(くちばし)。ペリカンとの間の子に見える。田舎のカラスとは口の大きさが全く違う。
何度追い払っても逃げない。仕舞いに50cm弱までにじり寄ってきて、私の左手に噛み付こうとする。目はらんらんと黄色に輝き、様相は怒髪天だ。「今すぐ巣を作るハンガーをおとなしく渡せ」と唸り声を張り上げる。童謡『七つの子』とは全く別世界だ。
あの口で噛まれたらただでは済まない。逃げて部屋の中へ。 このカラス、毎朝ベランダの手すりで鳴き叫ぶから喧騒そのもの。物干し竿を見上げるたびにハンガーの位置が端から端へと大きく移動している。諦めたのか、それとも子育ての時季が終わったのか、やがてカラスは来なくなり、一安心。
さて次の問題はダニ
あの半地下での半年間の生活ではダニに刺されたことが無かったのに、ここに来てから身体に赤い斑点。ダニにやられたのだ。
バルサン八畳用を二個同時に焚いても一時しのぎ。これが毎週で二年間。その他、店頭で販売しているありとあらゆる薬品を順次購入するも似たり寄ったり。
何故に効果の無い薬品を売っているのだ! ダニは薬品メーカーが撒き散らしたものか? 悪辣なシロアリ駆除業者とちっとも変わらないではないか。
単身赴任三年目の或る日、会社の近くの薬局の棚奥隅に売れ残ったような一個だけあるホコリの付いた「ダニアース・パウダー」を絶望的な気持ちで偶々購入。
これを部屋に蒔いて三日間、掃除機をかけなかったらぐっと減り、更に、出勤する時に、ベットの布団の中にも蒔き、これを何度か繰り返したら、布団の中もザラザラになったものの、なんと、ダニは皆無となったのである。
その段階で久々に部屋に掃除機をかけ全てのパウダーを吸い取り、後、絨毯にちょっとだけパラパラと蒔くだけで安眠できるようになった。
尚、ここに住むようになってから数ヵ月後、山村専務が松山総務部長に私のこの部屋への入居はけしからんとわざわざクレームをつけたそうな。
それもそうだ。山村専務は、私がこの会社に入社した時の最初の上司だが、私の北海道時代、私を潰そうとして失敗した張本人(註1)だったから、こんなくだらんことまで異議を唱えるのも寧ろ当然だった。
気の毒なのはそれ故か、松山総務部長の精神的病(情緒不安?)が悪化したとの噂も伝わってきた。これには私は何も動けなかった・・・。それから間もなくして松山部長は会社を去った。
余談だが、この部屋の先代住民は、流石、京都人。これだけのダニを養ってきたとは。噛まれることはなかったのか。それとも、血を吸わせて育てていたのか。
も一つ述べると、とにもかくにも都内はダニだらけ。電車の座席に座わったり、或は居酒屋の小上がりの座布団に座ると、尻がモゾモゾした。なる程、当時、欧米では普通のダニ殺虫剤では耐性ができて効かないダニだらけとの報道。故に、どこかに座ったら、立つとき必ず尻をポンポンと払う習性が身に付いた。
(註1)
私の履歴書・273 背水の戦略とは!『徹底的に惨敗・敗走すること』 (函館戦争①)
※箱館戦争の記事は①から⑩まであります。
③以降は、下記の目次を開いてクリックしてください。
私の履歴書40歳代・北海道編 目次(2)
私の履歴書50代東京編目次
(参考まで)2017年現在、通販で検索するとダニアースパウダーは三種類ありますが、中でもハーブの香り付きは、殺虫剤が一種類で恐らく耐性ができて効果が薄い。この当時はこれで良かったが。他の二種類から選んだほうがいい。
m