天皇:宮中祭祀の源はユダヤ教




ほとんどの人がご存知の国宝第一の京都太秦(うずまさ)広隆寺(こうりゅうじ)の勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう、又は、みろくぼさつはんかしいぞう)。

広隆寺真言宗。 建立:603年(飛鳥時代)。ヘブライ渡来人の氏族である秦氏(はたうじ)の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、

処が、この弥勒菩薩の本筋は・・・。

画像は正教会東方正教会)で描かれたイエス・キリスト像と広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像(註1)
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※右手親指と薬指で三角形を作っている。
これが、『三位一体(さんみいったい)』を表現したもの。
1.父(=父なる神・父神)
2.子(=神の子・子なるキリスト)
3.霊(=聖霊聖神
の三つが「一体(=唯一神・唯一の神)」であるとする教え。カトリック教会・聖公会プロテスタント正教会東方諸教会といった大半の教派が、この教えを共有している。上述の諸教会において、三位一体は、「三神」(三つの神々)ではなく一体とする。

(追記)三位一体を表現したこういう像もある。

持統天皇(じとうてんのう)の歌(註2)
百人一首 2番、万葉集、『新古今集』夏・175 

「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」 (巻1-28)

現代語訳 
いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になるとあの天の香具山に巫女の真っ白な衣を干すと言いますから、

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(註3)持統天皇が藤原宮から眺めた天香久山(あまのかぐやま)

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古来万葉集などで歌われてきた。万葉集には単独で9首詠まれており、全体で13首に登場する。

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(註4)

(例)舒明天皇(きんめいてんのう)の歌
「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」 (巻1-2)原文「山常庭村山有等取與呂布天乃香具山騰立國見乎為者國原波煙立龍海原波加萬目立多都怜𪫧[12]國曽蜻嶋八間跡能國者」

[天香久山(あまのかぐやま)とは]
天香久山奈良県にある山で、畝傍山(うねびやま)、耳成山(みみなしやま)とともに大和三山と呼ばれる。

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(註5)葛城山展望台から見下ろす大和三山

天香久山藤原京の東にあることにより太陽信仰の地であったともいわれる。天の文字を冠する通り神聖な地とされ、天から降ってきた山との伝承が残る。

現在、山頂からは畝傍山(うねびやま、万葉集の中では「瑞山」(みずやま))を望むことができ、その山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠のうちの1つには高靇神が祀られている。

山の北麓には櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とする天香山(あまのかぐやま)神社[6]、南麓には天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸(あまのいわと)神社がある。

[「חגור(カグ)」とは、ヘブライ語で「まもられた」という意味]
先代旧事本紀大成経』(物部氏の歴史書)では「天隠山八十万里の中ほど、四十万里は天に隠されている」と記され、天隠山の名の由来でもあります。

 天に上のほうが隠されている山だから、天に隠れる山ということで「天隠山」とい記述ですが、亜空間に隠された山、つまり神殿がある世界という意味です。

 『先代旧事本紀』で「天香語山(カグヤマ)」と表記されるを『大成経』では「天隠山」と表記しています。

 ヘブル語では、「חגור(カグ)」とは、「まもられた」という意味があります。 
 アルザル(太陽のような球体(星))の世界は、日の栄えの律法に従う人々の世界であり、神に守られているのです。(註1)

大化の改新は、モーセのトーラーと類似点がある。ヨセフ・アイデルバーグ『日本書紀と日本語のユダヤ起源』(徳間書店)等では以下のように述べられている。

神道の祭司一族であった中臣氏が主導して、専横する仏教派の蘇我氏を滅ぼし、このとき蘇我氏の放火によって全朝廷図書が焼失しつつも、神道を一時的に復興させたのが大化の改新(645年)である。

大化の改新から大宝律令(701年)(神祇令)制定にかけては唐の文化を吸収しつつ神道の復興と制度化の過程であり、大化の改新の内容は、当時における神道の重要事項が中心であったと推測されるが、

その内容は旧約聖書と類似している。日本で元号として初めて定められた大化は、ヘブライ語のthQWH(tikvah)「希望」(現イスラエル国歌:H・thQWH:その・希望)と似ている。

大化は皇極天皇の4年目の7月1日 (旧暦)に始められたが、ユダヤ暦(古代の教暦ではなく政暦)では7月(ティシュリー グレゴリオ暦では9月から10月)1日はローシュ・ハッシャーナー(新年祭)で1年の始まりにあたる(「第七の月の一日は…聖なる集会の日としなさい」『レビ記』(23:24))。

大化政府は7月14日 (旧暦)に神々に捧げる捧げ物を集めたとあり、ユダヤ教での仮庵の祭りは7月15日(ユダヤ暦では日没が1日のはじまりであるためグレゴリオ暦では7月14日の夕方18時頃)から始まる。

祇園前祭(さきまつり) 宵山 7月14日~7月16日
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改新の詔の「男奴隷と女奴隷の間に生まれた子は女奴隷側のものとする」は、『出エジプト記』(21:4)と同じである。また、詔での、土地の分配を家族の人数に応じて行うことと『民数記』(26:54)、親族の死についての断髪等の禁止と『レビ記』(21:5)、借り物に関して賠償すべき場合を限定した定めと『出エジプト記』(22:13)も同様である。

皇室神祇
大化の改新の後、神道の皇室儀式の制度化は進められ、いくつかの定めのうち部分的に現在に伝えられているのが大宝律令(701年)の神祇令等である。神祇令においては、大嘗祭(だいじょうさい、おほなめまつり)・新嘗祭(にいなめさい)の他、大祓の儀等が定められていたと推測される。

天岩屋戸からアマテラスが出てきたときに祭司コヤネ(天児屋命)がスサノオの罪を清めるために唱えたといわれる大祓はコヤネの子孫といわれる中臣氏が伝えてきた祭儀とされ、大祓の儀は6月30日と12月31日とされており、ユダヤ教の区切りと一致している。

(画像)水無瀬神宮の茅の輪(ちのわ) 6月1日から30日まで
6月30日が夏越の大祓(なごしのおおはらえ)
※日本の神道儀式の祓の1つ神事・大祓は、毎年6月と12月の晦日新暦では6月30日『夏越大祓』と12月31日『年越大祓』)に行われる

また、大祓の祝詞では、天つ罪と国つ罪に分けていくつかの禁止事項が列挙されているが、二種類の種を播く罪(レビ記19:19)、近親相姦(レビ記18:6〜)、人体を傷つける罪(レビ記19:28)、呪術(申命記18:11)、こぶのある者(レビ記21:20)など旧約聖書の禁止事項と一致している。

新嘗祭大嘗祭は収穫を捧げる儀式であり、特に大嘗祭では仮庵を建てる。ユダヤ教で収穫を捧げて祝う祭りは仮庵の祭といわれ、エジプトを出て仮庵に住んだことを代々伝えるため、仮庵を建てて行わなければならないとされる(レビ記23:23〜)。

-Song of The Oharae- ユーチューブ 11分31秒

大祓祝詞 伊勢神宮名誉宮司様(ユーチューブ)
                    つづく

(続編)
京都・貴船神社の「夏越しの大祓」


(参考1)
京大生が木曽路や小諸を好きだった訳 2008/6/21(土) 
彼等の習性を推量出来るのが、広隆寺・国宝弥勒菩薩事件 
(参考2)
京都・広隆寺の蝋梅と寒桜 2007/1/15(月)  書き直しの必要あり

(註1)
正教会の歴史

(註2)持統天皇(じとうてんのう)
名前:野讚良(うののさらら)
生誕:飛鳥時代、645年~703年1月1日

(註3)
藤原宮跡~天香久山

(註4)
地図 マピオンMapion) に加筆したもの

(註5)画像
葛城古道を歩く~彼岸花大和三山(1)