島本町:大音響の選挙カーと低劣な候補者


わが町、島本町の任期満了に伴う同町長選と町議選(定数14)の日程は今月4月11日告示、16日投開票だ。

処が維新は告示前の先週から宣伝カーを繰り出し、何度も町長と議員に立候補予定の候補者の名前を連呼し回わり投票を依頼していた。これ、違法じゃないのか?

それにしても選挙公示前でもうるさかったのに、公示後の選挙カーの拡声器の音量のアップの凄まじき候補者がいる。窓ガラスが震える程の若い男の声だ。

家から飛び出し怒鳴りつけてやろうと思っていて、その話を別の町内の者に話したら、やはり、停まっているその選挙カーに「うるさい!」と直接怒鳴りつけた人がいたとのこと。なる程、あの大きく、然も汚い声に耐えられないほどの不快感を抱くのは私だけではないということだ。

夕方、阪急水無瀬駅の改札出口には男二人の候補者が並んでいた。それに駅前のローソンの信号を渡る候補者とも出会った。

男の候補者が何人いるか知らんが、三人共、到底議員としてまともな意見を言えるような人物ではなかった。知的なものは全く感じられなかった。

その話をその知人に話したら、あれが島本町の男のレベルだという。
なる程、わが町では女性議員が多い原因はここにあったのだ。

それにもう一つ。維新が高槻市との合併を唱えている。
結論から言えば、あのガラの悪い高槻との合併などはまっぴらゴメン。

その昔、合併をするなら隣の京都府乙訓郡大山崎町とならということだったが、大山崎町から断られたという。本当か嘘か知らんけど。万が一、合併し、大阪府が頭についたら嫌だとの大山崎の町民の声が大半だという。

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わが町、島本町は、平安時代から京の都の高貴なお方たちの狩りの場だったし、後鳥羽上皇が壮大な水無瀬離宮を建立した。然も、ここは藤原定家が嵐山の小倉山の山荘から船で保津川桂川を下り⇒水無瀬川を遡上し、後鳥羽上皇と『水無瀬恋十五首歌合』を、更には『新古今和歌集』を編纂したところ。更に後鳥羽院上皇)が隠岐の島で没後、定家が後鳥羽院を偲んで作ったのが、水無瀬の情景を描いた小倉百人一首

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このようにわが町島本は、古来、大阪よりも京都との結びつきが強い。街への買い物と言ったら京都の大丸さんに錦市場だ。高槻市との合併などはまっぴらゴメン。


高槻市の小学校の呆れた現状)
1991年3月末、札幌から引っ越してきたうちの息子と、同じく他府県から引っ越してきた同じクラスの二人は、『部落問題』と『同和問題』に関して無知だということでクラス中からいじめられているという。

子供の嘆きを聞き、初夏の6月の父の日、父親参観日があったので現状確認に出かけた。確か穏やかな日差しのお天気の日曜日だった。
 
授業が始まる15分前に持参したスリッパに履き替えて校内へ。処が土足厳禁の廊下は砂でジャリジャリ。出入り口には砂落としマットがあるのに。更に子供達は廊下を走り回りぶつかってくる。
 
参観日にこれでは・・・・・。
 
教師は児童に日頃掃除の仕方も教えていないし、廊下は走るものではないことも教えていないということになる。つまり社会の常識を教えていないと痛感した。
 
教室に入ると父兄では私が二番目。
そこも同じく床は砂でジャリジャリ。

アルミサッシのガラス窓の縁全体にガムテープの剥がしたあとが醜く残ったまま。然も全部の窓枠に。

どうなっているのだ! この小学校は!
石油を染み込ませた布でこすると取れるじゃないか!
 
教師は何故こんな簡単なことを子供にさせないのだ!
教師は何故児童が学ぶ教室や廊下をきれいにしようとしないのだ!

こんな所で子供がまともに育つわけはない。
私は急遽、子供の夏休み期間中、隣の街の島本町に引っ越した。

(※)私の履歴書・408 社会の常識を教えない小学校


(続編)
島本町長選:お見事、維新擁立候補落選』 2017.4.17(月)


(参考)
三川の合流大洪水の地・水無瀬 2012/7/24(火) 

百人一首の秘密』の著者 林直道教授の講演を聴く 2008/11/7(金)

百人一首』を足蹴にする企業 2007/1/8(月)