慶応大学伝統レイプの源流


それは慶応大学が誇る石原裕次郎抜きには慶応レイプを語れない。

今回の記事は、この↓記事の続編です。
秋華賞:大スポ買って無念の昼寝』 2016/10/18(火) 


その石原 裕次郎とは、
1934年(昭和9年)12月28日 - 1987年(昭和62年)7月17日)

兵庫県神戸市須磨区、北海道小樽市、神奈川県逗子市に育つ。逗子中学校時代からはバスケットボールに熱中した。その後、慶應義塾高等学校を目指すが受験に失敗し、慶應義塾農業高等学校に籍を置くが、1951年に慶應義塾高等学校編入学

卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科に内部進学するが、放蕩生活に明け暮れる。、兄慎太郎の影響でヨットやパーティーに明け暮れる青春時代。

大学在学中から、俳優を目指し東宝大映、日活のオーディションを受けるも全て不合格。しかし1956年に、映画プロデューサー水の江瀧子と兄・慎太郎の推薦があって、慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』の映画化の端役で映画デビュー(21歳)。

その後、慶應義塾大学を中退して日活に入社。『太陽の季節』に続いて製作された、同じく慎太郎原作の映画化作品『狂った果実』では、後に妻となる北原三枝を相手役に主演。

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(当時の私のこと)
映画『太陽の季節』と『狂った果実』が封切りされてから二年後の1958年4月、私の家族は秋田県由利郡大内村(下川大内村)から本荘市(現、由利本荘市)に引っ越し、私は本荘中学(現、本荘北中学)に入学した。

この時の最大のカルチャーショックは、同級生の旅館の息子と旅館の物置小屋で一緒に見た月間平凡と明星の付録の冊子『ドクトルチエコの身の下相談』(犯されてしまったのです)だった。

尚、このころ、月間『平凡』は毎月100万部以上も売れていた。

私の履歴書・32〈中学時代ー5〉
ドクトル・チエコを知る 2007/12/19(水) 

それと大曲の縁戚の近所の者が前年慶応大学に入学し、翌春、休暇で帰郷した時に家族に話したことを母の兄から聞いた内容だ。

慶応大学には普通の家庭の子供は入るべきではないという。
それは、周囲の学生連中の財布の中には、常時少なくても10万円は入っているとのこと。当時の大学初任給が1万3千円台だから、今の貨幣価値に直すと何と100万円以上だ。

連中は慶応高校からの内部進学やコネや大金の寄付金の入学で、高校の英語の教科書もまともに読めないレベルだそうだ。その連中が昼夜を問わず、街で乱痴気騒ぎをするとのこと。一般学生にとっては金銭的にも道徳的にも肉体的にも到底付いていけない。


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さて、石原慎太郎が書いた小説太陽の季節』と『狂った果実』とは、簡単に言えば、ヨット好きな当時一橋大学の学生だった兄・慎太郎と、慶応高校の弟・裕次郎が、湘南で女子学生などをナンパし、ハチャメチャな淫行をしでかしたことをアレンジし、自慢げに書いた小説である。

だから二つの小説の文中には兄と弟が登場する。
この二人の兄弟とは、慎太郎と、裕次郎である。

これを裏付けるものとして、執筆は葉山町にある旅館の離れで行い、原稿1000ページの『狂った果実』を書くのに要した時間は僅か7時間である。これは実体験無しに、下手糞な文章にしろ、これほどの短時間でリアルには書けない。

更に、この小説の中で、兄の名前が『夏久』で、弟の名前が『春次』であることも裏付けの一つである。親が子に命名する場合、兄が『夏』で弟が『春』などとはありえない。順序が逆である。兄が春で、弟が夏である。

拠って明らかに兄『夏久』は弟の裕次郎のことで、弟『春次』は兄の慎太郎である。
この二人が湘南鎌倉の海・稲村ケ崎での淫行記録の一部が小説『太陽の季節』と『狂った果実』であることを暗示するために意識的に春夏を逆にしたのである。

尚、小説『狂った果実』は、ドストエフスキーの小説『白地』や他の作品からの拝借したものとの説があるが、確かにそれは間違いではない。

但し、慎太郎と裕次郎兄弟がそれらの小説を読み、真似て、仲間と共に湘南の海で実践したことをアレンジして書いたのが『狂った果実』の内容である。

(参考)作品成立(ウィキペディア
夏久・春次兄弟のキャラクター設定はフョードル・ドストエフスキーの小説『白痴』に登場するレフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン公爵とパルフョン・セミョーノヴィチ・ロゴージンのそれから取った。本作に登場するシーンもあちこちの作品から拝借していた。(そのため、映画の撮影時に石原裕次郎が「ここはあの作品の○○のシーンだな」などと撮影現場で度々口にしていたという。)



太陽の季節』)とは、
キャスト
(主演)
津川竜哉 - 長門裕之
武田英子 - 南田洋子
(ちょい役)
サッカー選手 - 石原慎太郎

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石原慎太郎の短編小説。裕福な家庭に育った若者の無軌道な生活を通して、感情を物質化する新世代を描いた作品で、石原の出世作である。ストーリーが倫理性に欠けることで、発表されるや文壇のみならず一般社会にも賞賛と非難を巻き起こした。

あらすじ
高校生・津川竜哉(長門裕之)はバスケット部(註1)からボクシング部に転部し、ボクシングに熱中しながら部の仲間とタバコ・酒・バクチ・女遊び・喧嘩の自堕落な生活(註2)をしている。

(註1)石原裕次郎は、慶応高校時代、バスケット部に在籍していた。
(註2)石原裕次郎の高校時代と慶応大学在学中の生活そのもの。

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街でナンパした少女の英子(南田洋子)と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉(長門裕之)に惹かれていく。だが竜哉は英子に付き纏われるのに嫌気がさし、英子に関心を示した兄・道久に彼女を5千円で売りつける。それを知った英子は怒って道久に金を送り付け、3人の間で金の遣り取り(契約)が繰り返される。

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ところが英子が竜哉の子を身籠ったことがわかり、妊娠中絶手術を受ける。手術は失敗し英子は腹膜炎を併発して死亡した。

葬式で竜哉は英子の自分に対する命懸けの復讐を感じ、遺影に香炉を投げつけ、初めて涙を見せた。

竜哉は学校のジムへ行き、パンチングバッグを打ちながら、ふと英子の言った言葉を思い出した。「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」。竜哉はその瞬間見えた英子の笑顔の幻影を夢中で殴りつけた。

   ☆   ☆   ☆

(アマゾンのこの小説の紹介文)
女とは肉体の歓び以外のものではない。友とは取引の相手でしかない……退屈で窮屈な既成の価値や倫理にのびやかに反逆し、若き戦後世代の肉体と性を真正面から描いた「太陽の季節」。最年少で芥川賞を受賞したデビュー作は戦後社会に新鮮な衝撃を与えた。

(アマゾン カスタマーレビューの一部を紹介)

作者はこの本で政治家になりました(爆笑)!!
投稿者 三輪そーめん VINE メンバー 投稿日 2010/3/21

石原慎太郎の迷作。

この小説で石原氏はスターダムにのし上がり、さらに言うならば、現在の政治家(そしてクリエーター)の地位を築き上げる基礎になった。

内容を要約すれば“性と暴力”である。もっと言えば女をおもちゃにした男の自堕落さと愛しながらも振り回されて死んでいく女の物語である。

この小説自体は今から読めば大したことはありません。
文章は悪いし、ストーリーに守備一貫な部分もない。
エログロナンセンスの端くれにするのもおこがましい駄作である。

おそらくは50年代に流行ったアメリカンな作品の影響下で生まれた小説ではあるまいか?

だがモデルになったとおぼしき「欲望という名の電車」あたりの作品のように、社会問題や人間の綾というものはない。性と暴力の表層をなぞっただけの代物である。

任侠ものやポルノ作品の方がはるかに男女の人間関係、友情に深みがあると思う。

この作品は当時の社会の若者に多大な影響をあたえ、映画化に際しては表現規制の原点になった作品である。(以下省略)

ダサい駄作
投稿者 あそちゃん 投稿日 2010/12/16

金持ちの不良息子が女を妊娠させて堕胎手術で死なせてしまうという、
ただそれだけの読後感の悪い小説。

性と暴力を非常に読みにくいヘタな文章で書いた駄作。
これを書いた張本人が言論規制をしようとしているんだから困ったもんです。


なんというか。
投稿者 ジョン 投稿日 2010/12/17

何かと「太陽の季節」が話題に上がるので、読んでみました。
正直な感想を言うと、下品でした。
一番下品だと思ったのは、とあるもので障子を突き破るというシーン(註3)でした。

これを読んだ瞬間に気分が悪くなり、二度と読みたくないと思いました。
主人公の設定も博打・酒・女にハマっているという設定で、何ともいえませんでした。

もう少し、良い設定があったのではないかと思います。ところどころ誤字などもあり、小説を書くならもう少し勉強したほうがいいと思います。

しかし、当時の人間模様や若い世代の心情を捉えていて、「そうだったのか。」という発見にはなりました。

東京都の条例で色々と規制されるみたいですけど、この作品も規制の対象になると思うのですが、大丈夫なのでしょうか。

(註3)障子を突き破るというシーン
部屋の英子がこちらを向いた気配に、彼は勃起(ぼっき)した陰茎を外から障子に突き立てた。

障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた。その瞬間、竜哉は体中が引き締まるような快感を感じた。彼は今、リングで感じるあのギラギラした……

尚、このシーンも他の小説を真似ている。

   ☆   ☆   ☆
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 続編              
慶大『海の家』で例年行われていたこと 2016/10/24(月)


太陽の季節画像借用先)